お久しぶり。
コロナや都合がつかなかったりで、GWもどこも出かけず、ずっと写真を撮らず。前回撮影に出かけたのが4月中旬で丸々1ヶ月ぶりのお出かけ。
やっと半日ほど時間が取れたのでちょっと気になっていた「麻賀多(まかた)神社」を見に行ってきた。
麻賀多神社はなんだかよく見かけるなぁと思っていたが、どうも佐倉市や成田市にかなりあるらしい。
最初の印象は神社の名前が読めない。至る所にあるように感じていたというぐらいだった。
その数、調べたら18。「麻賀多十八社」と呼ぶらしい。
18ある?
寺社仏閣は大人のディズニーランドだな。夢の国っぽいよね。
しかし、浅間神社などのように全国にあるかというと、この周辺だけらしい。果たして。
カメラはM7とSummilux 35mm f1.4。最近暗がりばかりなのでフードは外してる。怖いし。
なんかレンズとかカメラは落としたりして壊れても仕方ないかなと思える時もあるんだけれど、下手にフードだけ壊れると落ち込みそうな気がするんだよね。
フィルムは以前、ほしい物リストを出したらテンガと一緒にいただいた、フジのカラーネガ100。このフィルム実は一番好きなカラーネガフィルムかもしれない。粒状性もかなり低くて、きめ細やかで綺麗に写ると思う。
外で家族写真をばちばち撮るならISO100でも十分かなと。ISO400でギャンギャンに絞って28mmとかで全体を撮るのもいいよね。
家族写真は引きで撮るものよ。室内の家具が入ったり、当時の家とか公園の遊具が写ったりして、10年後にみると懐かし〜となること請け合いだから。
これはロボ?これ刺したら痛そう・・・。違うか。
ああ〜、これも一度やってみたい。生命の神秘。
あと年始から半年ぶりぐらいに外食もしてきた。なんとか今ならコロナも大丈夫かな?と。これからまた増加していくんだろうなぁと思いながら・・・。
コロナのせいで、〜年ぶりとかって多いな、最近。
目次
台方麻賀多神社
「麻賀多十八社」の総本山がここ台方にある「麻賀多神社」だ。元々の神社、奥宮は船形にある。(この後に行った)
御祭神は「和久産巣日神」・・・。読めない・・・。検索したら「ワクムスビ」と出た。古事記ではイザナミの尿から生まれたとある。食物の神様。
天照大神の姉ということで伊勢神宮ともゆかりがあるようだ。鳥居に菊の御紋がある理由がわかった。
境内にひっそり咲いていた。調べたら「フタリシズカ(二人静)」で見ての通り花が二つついている。花が一つの「ヒトリシズカ」もあるぞ。お前はどっちだ!
境内は静謐で落ち着く感じだったけれど、熱心な参拝者の方が後を絶たないぐらい訪れていて柏手の音がよく聞こえていた。
小さい神社の部類に入ると思うけれど、かなりしっかりとした雰囲気の神社だった。
とにかく参拝者が途切れないのが印象的だった。それほど由緒あるのだろうと。
船形麻賀多神社(奥宮)
奥宮がある、船形麻賀多神社。ここが最初の麻賀多神社。
日本武尊が東征の際に杉の木に鏡を祀り、「この鏡をインバノクニタマオキツカガミと崇めて祀れば、五穀豊穣になる」と言い、伊勢に遥拝したのが始まりだそう。
日本武尊いろんなところにいるよね。忙しい人ってイメージ。
1700年ほど前に印旛国造(大和朝廷の地方長官)の"伊都許利命"が船形に建立。この杉の木下から、勾玉を掘り出し、勾玉の神=真賀多真の大神として祭る。
その後、推古天皇(554~628年)の頃に神命を受けて、「和久産巣日神」を遷神し、先程の台方に真賀多真神社を建立。
三種の神器「勾玉」と同じなので「真賀多真神社」になり、何故か一文字取れて「真賀多神社」へ。そして、この地方が「麻」の産地だったため、「麻賀多神社」へ。
大伴家持(718~785)も参拝しているとか。当時は大伴さんきたー!って盛り上がったのかな?大伴家持さんが寄贈した鳥居(一の鳥居)が印旛沼そばにあるとのこと。今度行ってみよう。
伊都許利命さんは神武天皇の皇子神八井耳命の八代目子孫。神武天皇は存在はしないがここまで下がれば、この人は存在した可能性ある?
新緑が気持ちよかった。
とても成田市にあると思えない。でも成田も少し外れると田舎よね・・・。
まぁ!立派!
センサーが張り巡らすされていたよ。管理(ガードマン?)の人も訪れていたし。
こちらもお一人で参拝に来る人とすれ違った。地元ではかなり由緒あるところなんだろうな。
この扁額の下の方に"すぼまった"書き方ってあるのかな?だんだん下の方が文字が小さくなっていた。
日本武尊がここに来た?鏡を持って?そしてこの根本から勾玉が7つも出たのか!?
最近、あっちこっちの杉がパワースポットになりすぎていて覚えづらいなと。
日本人のいいところでもあるんだけれど、八百万神も大変よね。とりあえず祀っておこう的な。そうやって精神的安寧を保つとかね。
職場とかで(当時なら火を絶やして怒られたとか)嫌なことがあったらこの杉に泣きつくとかさ。夜な夜な。そういうのも悪くないよね。次の日、元気になれるのなら。
隣は幼稚園。
駐車場を共用しているので、そちらを利用した。
参道の横に古墳の上に登る入り口がある。
明治と大正に保存とあるが、発掘したのかな。色々と出たみたいよ。
石室がある。あそこに人が埋められたということか。盗掘とかあったのかな。でも知らない人が見たらだたの丘だしな・・・。地元の人にしてみるとすげーところか。
創始「応神天皇時代」と。300年代後半頃の天皇らしいが考古学上定かではないと。いわゆる古墳時代だけれど、誰が本当に存在したのか。卑弥呼?
弥生時代から古墳時代、ヤマト王権までの流れがよくわからんな。500年代になって蘇我氏とか出てくるのか?弥生時代の終わり頃から古墳時代が始まるまでが「空白の4世紀」なんだって?古墳時代と飛鳥時代が若干被ってるのか?
この辺は中学の歴史あたりをもう一度勉強しないダメだな。年号と人の名前しかわからん。
645年、蘇我氏とかね。
それ以前になると途端にわからなくなる。
近くを散歩してみたら、あっさり切り通しが見つかった。駐車場の横。後ろを降って行ったら、見事に開発が進んで切り崩されていた。
宗吾霊堂
宗吾霊堂=東勝寺を訪れた。
こちらによると、正しくは東勝寺。成田山新勝寺は"東勝寺より新しい"からという意味とのこと。へぇ〜!
坂上田村麻呂(758~811年)が桓武天皇の勅命にて建立したとのこと。新勝寺が940年なので確かに、新勝寺の方が新しい。
木内惣五郎(佐倉宗吾)が江戸時代に重税に苦しんでいる農民のために、直訴をし家族ごと1653年に処刑されたという義民伝説がある。裏付けはないそうだ。
宗吾霊堂といえば、紫陽花かなと。本堂裏に紫陽花が多く植えられている。おそらく時期に訪れるとすごく混んでいるかもしれない。
石楠花なんて書けないし、読めないな。あちこちで結構咲いていて楽しめた。
水蓮の花が咲きそうになっていた。
躑躅。これも書けない読めないな。背丈の大きいツツジが多かった。
ここが紫陽花が多く植えられているところ。季節になるといいんだろうな〜と紫陽花の葉っぱを見て回った。
あざかやかな色でカラーネガということもあったのでパチパチと撮った。
帰りに見てみた。前に来た時は開店していたかなと。魚が生きた状態で生簀に入っていたと思う。
今、印旛沼で鰻とかどうなんだろうか。チョット難しいだろうなぁと。
梅雨前で陽も長く、18時ごろでもまだ明るかった。午後3時ごろから撮り始めても流石に36枚撮りきれず。あと10枚ぐらい残った。
全然撮れない、撮らない
ほんと最近、出かけても1本撮るか撮らないかぐらいだな。そんなに撮らない。別に作品を撮っているわけでもないし、お出かけすると知的好奇心が満たされることが多いので、へえ〜となってしまい、撮影とは別の楽しさがある。
写真を純粋に撮るだけならもっと撮るだろうけれど、メインがお出かけなので、何かそれっぽいのがあったら撮るし、記録写真としてという感じかなぁ。
結局、4月中旬に1本撮って。今回、5月中旬は1本撮りきらず。この次出かけられるのはいつだろうか。
コロナで色々変わったかな
なんかさ、コロナになってから色々変わったなって思う。全然出かけられないから、写真も撮れない。外食もできないのでカフェとかで美味しいコーヒーも全然飲んでない。
感染したらまだ今は2週間近く隔離でしょ。すると濃厚接触者になっている家族も同様、働けないし外に出られなくなる。この辺がインフルとは違うよね。
早く特効薬ができないかなぁと。
もうコロナは罹っても仕方ないとは思うんだけれど、後遺症が怖いよ。起きられないとかで働けなくなったとか。自腹だもんねぇ、コロナ治ってからの後遺症の治療費は。
コロナ後遺症専門外来とか聞くと色々思うことはあるね・・・。
コロナ以前と同じようにというわけには行かないので付き合っていくしかないのかなと。
近所を記録しておこうか
あと、本当はもっと近所とかも撮っておいた方がいいんだろうなと思うときもある。
10年前の写真を見ると、こんなに変わったか!と驚くことが多い。
あー、月1本なら自家現像の意味って・・・あまりにも現像しなさすぎで現像液も開封してしまうとダメになってしまうし・・・。コスパ云々というのも成り立たないしなぁ。
そういえば、先日突然入荷して1本買えた!3000円に値上がりしてた。
だからと言って無理に撮ることは決してしない。今が十分楽しい。もっといろんなところに行きたいし、知りたい。残したい。
よしライカ買おうな!旅のお供にライカ。記念写真にはライカ。
あとはフルオートでEOS KISS IIIとEF 40mm f2.8が最強か?
もうレンズがないのだった。(お金がなくて売った)また買おうかな。