印西市の戸神宗像神社へ行ってきた

白井第二小学校平塚分校のあとに、印西市の宗像神社へ向かった。

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「むなかた」ってどうしてこういう読みになったんだろう?

やっぱり福岡の宗方か。

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福岡の方は宗像(宗方)さん多いイメージ。

あれ!?ここ、世界遺産沖ノ島の関連するものなのか。女人禁制のイメージが強い。

なんで女人禁制なんて生まれたんだろう。僧侶が禁欲のためとか、生理のためのケガレとか、色々言われすぎてわからなくなっているけれど、山は危ないからというのは昔ながらの言い伝えでわかる気がする。

あとは、あれやこれや尾びれ背びれがついてだろうなーと。

ま、ここの宗像神社は女人禁制じゃないし、いいか。

この辺りは宗像神社が多い。戸神、船尾、清戸、岩戸などかなりあるな。

麻賀多神社みたいにいっぱいある。麻賀多神社は印旛周辺の地名からだけれど、宗像はやっぱりそれだけ大きな神社だから?

あと鳥見神社も多いな。古墳時代らしいが・・・。それぞれ回ってみるのも面白いかもしれない。

辿り着くまでが田舎道。いい感じ。

綺麗に整備された小綺麗な神社という感じ。地域に根ざしているように思えた。

鳥居脇には道祖神などの板碑、石碑。これだけ並んでいるのは初めて見たかも。

三山信仰。ほんと千葉はどこにでもある感じがする。

二十三夜塔。庚申塔と同じぐらいみる。

青面金剛塔でいいのかな。庚申塔。いっぱいありすぎて目がチカチカするぞ。

拝殿。地面にせんとバツ印があったけれどこれは参拝の列のためかなと。

本宮。ガッチリ守られている感じ。

"三壁面浮彫り"ということで大切に保存されている様子。内容は1333年の後醍醐天皇による「建武の中興」の話。

ああ!後醍醐天皇ってあの流刑にあった人か。復活して、政権奪取したんだな。その時に出てきたのが足利尊氏と新田義貞、楠木正成なんだ。やっとわかってきた。

こちらは新田義貞が鎌倉に攻め入る時に稲村ヶ崎から剣を投げ入れた時の様子。

この彫り物は後醍醐天皇が隠岐島に流刑にされた時のこと。それを追いかけた武将が間に合わず、辛いよという詩を岡山の木に掘った時のシーンらしい。

内容は「流刑辛いね。でもね、ちょっと待っててね。いつか復活できるからね。助けるからね」ということらしい。

結局、「建武の中興」が成功したけれど、貴族中心の新田氏(源氏の血流)と武家の足利氏がバトルして、足利氏の室町幕府、つまりまたもや武家政権になってしまう。北朝の興り。

後醍醐天皇はその後に南朝を興す。南北朝時代か。

こちらは楠木正成親子の1336年の「桜井の別れ」とのこと。

楠木正成が討ち死にする前に子の正行(まさつら)にお別れに大阪(ここの説明文には奈良の桜井と書かれていたが)の桜井で形見の刀を渡すシーン。お前は生き残って帝に使えよと。

つまり、天皇家について頑張れと。

結局、この三面で何が言いたいかというと、天皇万歳かと。

昭和五年(1930年)に火災から復興した時にこの彫刻ができたのも天皇制万歳の時と。なるほどねー、神道か。

昭和一桁代の頃は本当に日中戦争へまっしぐらで、天皇ありきの世の中だったから尚更これらの話が選ばれたのだろうなと。

摂社。

天神社。

牛頭天王(ごずてんのう)社!?八坂神社なのか。知らなかった。素戔嗚神でいいの?

他にもいっぱい社があったな。なんだかすごいところっぽいというのは感じた。

根性のある木。そうですかとしか言いようがないが。

ここではM3とSummicron 50mm f2にILFORDのORTHO+で撮った。

かっけーな、おい。

露出計持ってのんびり神社を巡るのもいいもんです。

次は隣の八千代市の熱田神社へ。

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