司令部で1本撮り切ったあとにもう少し司令部で撮ってから、筑波海軍航空隊記念館(HP)
の閉館時間も迫ってきたので記念館へ入った。
カメラとレンズは引き続き、Leicaflex SLとSummicron-R 50mm f2で、フィルムもIlfordのHP5+で。
目次
司令部の続き
司令部のエントランス前の中央階段。
ここでもロケとか撮影が行われていることが多い。
やはり古い病棟という感じはする。階段の手すりだけが古いようだ。
蛍光灯の灯りが良くも悪くも雰囲気がある。
資料室ではいろいろな航空機などの部品が展示されていた。
何人の人々が出入りしていたのだろう。
司令部前には桜の木が並んでいるので春にも訪れてみたい。
夕暮れ時の無線塔。
閉館時間も迫ってきたので隣の記念館へ向かった。
筑波航空隊記念館へ
いつもこれに惹かれてしまう。
墜落した航空機の風防を利用して特攻隊員が文通相手へペンダントを作ったのだ。
出撃するまでに会うこともなく文通のみでのやり取りの中での思い。とても人間性が表れていると思う。
こういう日章旗があるべきところにあるとホッとする。
しかし、重い。重すぎる。
使い込まれていた帽子。
LAUREL(ローレル?)8x30とある。
左は軍刀と三八歩兵銃。右は旧海軍の外套など。前回訪れた時はなかったと思う。
今回のリニューアルで変化はあった。
特攻隊の発祥の地でもある。特攻隊員の遺影がずらっと並んでいた。
写真の威力たるや凄まじい。
自分でもここは淡々と撮っていることに気づいた。
再び外へ
もうほぼ陽が落ちかけている頃に、記念館を後にした。
ここの敷地内に「筑波神社跡」があったので寄ってみた。
土台だけが残っているのだろう。特攻隊員がここに参拝したとのこと。ひっそりと残っている。
「国土交通省 東京航空局 友部航空無線通信所」が隣接しているので、その柵が筑波神社そばにあった。
日没と同時ぐらいに撮り終えた。
旧友部病院と筑波海軍航空隊記念館は今回で2回目の訪問だったが、まだまだ見応えがあった。
冬の夕暮れとここ司令部跡にいるとなんともしんみりとした気分になった。
この後、気を取り直して笠間稲荷神社の「きつねそば」を食べようと思ったのだが、17:00に閉店とのことで、近くに使われなくなった航空機があるところを少し見にいった。
水戸市内原のUH-1Hヘリコプター
水戸市の内原ヘルスパーク内に陸上自衛隊のUH-1Hヘリコプターがある。
公園内の消防署側駐車場に停めればすぐにわかる。
公園内になぜかあるという感じ。
多分だけれど、霞ヶ浦海軍航空隊があったが戦後、陸上自衛隊の霞ヶ浦駐屯地となり、そこに陸上自衛隊航空学校霞ケ浦校があるので、そこからの寄贈かなと。
現在はUH-1Jに置き換わっている。
iPhoneで撮影。手ブレ申し訳ない。今度もう一回撮ってくる!
ああ〜いいカメラが欲しいわ〜。いいiPhoneが欲しいわ〜。
最近老眼と近視と乱視が進んで、さらに元々遠視だったので世界が滅茶苦茶になりつつある。
腕時計は見えなくなったのでアップルウォッチになったし。
iPhoneもSEなので画面が小さくて文字が読みづらい。ああ、iPhone13 Proとかのでかい画面のiPhoneが欲しい〜。
でも12万とか見ると萎えるんだなこれが。レンズなら買うかもしれないのに。
でもiPhone13 Proには77mmレンズもあるのか!欲しいわ〜。
なんだかんだで一番撮ってるカメラがiPhoneのカメラだもんな。一番お金かけてもいいよね。
この後に笠間市の鯉淵のスクラップになったT-33A練習機も少しみて帰途へ。
帰り道に空腹になって、途中のSAに入ったらなんと、きつねそばあるじゃん。
この焼き印がついたきつねそばを稲荷神社で食べようと思っていたのだった。冷えた体に染み渡る美味しさ。普通のそばなのに。しょっぱさがいいのね。
つくづく日本ってまだまだ色々あるんだなと思うし、千葉だけでも回りきれずに死にそうだなと SA内にあった久しぶりのスタバのコーヒーを飲みながら思った。
よくインスタとかで見る、スタバのコーヒーカップに"おつかれさまでした"とか書いてあるかなと思ったら何も書いてなかった・・・。つら。おっさんだから相手にされないのかもしれない。おじいちゃんになったら"またきてね"とか書いてもらえるかもしれん。
今度自前でカップ持っていって、それにお疲れ様でしたと書いてもらおうか。これに書いてくれと。
出先でスタバを見つけたら全て入って、毎回"お疲れ様です"とか書いてもらっていくの。いつか真っ黒なカップにしてやるわ。