楞厳寺のあとにLeicaflex SLとSummicron-R 50mm f2を持って、旧友部病院と筑波海軍航空隊記念館へ行ってきた。
筑波海軍航空隊司令部があったところに、戦後精神科病院ができ、それが茨城県立友部病院となり、現在は茨城県立こころの医療センターになったが、それらの跡地は残っており、見学、撮影もできる。
2019年1月にも訪れているが、Hektorさんより2020年に記念館がリニューアルしたとのお話を聞き、ご一緒させていただいた。
目次
過去に使われていた門
ここは過去に航空隊の時にも門として使われていて、この道自体が海軍道路だった。そして司令部解体後は精神科の友部病院の門として使われている。
この奥がこころの医療センター。
司令部の前には桜の木があって、春は綺麗だと思う。
友部病院跡地へ
ここも見学が可能。陽が高いうちに外を回って、撮ったら室内の司令部や記念館を見ようとなった。
ここの廊下をどれだけの患者さんが歩いたのか。
過去の病棟は窓に格子がつけられている。昔ながらの「精神病院」。今は「精神科病院」と名前が変わった。
古い精神病院って感じ。がっちり閉じ込められる。
ほぼ放置状態なので一気に草に覆われていってる。おそらく夏頃は何も見えなくなっているじゃないかと思う。
これだけの規模のものなので財政的に解体費用は厳しいのかなと思う。
おそらく院内の庭だったのかなと思うが、完全に取り残された世界のよう。
合法的に見られる廃墟だ。
時折、見回りの警備員の方とすれ違う。
あ、最小絞りのf16と1/1000だったからあんまり変わらないか。
シルエットの方がなんとなく伝わるのかなと思った。きつい西日と逆光のシルエット。
完全に放置されている。木々も。
こちら司令部ができた時の正門。今は閉ざされていて見学のみ。
こちらも逆光で。
PCB保管庫もあったけれど中はどうなっていたんだろう。PCBは1972年に使用禁止になったとのこと。
何も音のない世界とは言わないけれど、そういう感覚。時間が止まっている感じはしない。
草木が普通に生えているから。
撮りたいと思ってカメラを向けていたら、後ろからヘクトールさんが「アレもさんこれ撮りたいでしょう」とおっしゃる。よくわかってる。
古い病棟なのかわからない建物と向こうに煙突らしき物。建物というより、色に惹かれた。
こういうところに弱い。ところじゃなくて、構図か。
ひんやりしている感じ。
こちらも逆光にしたがハマった。
右上のコンクリートの壁が司令部時代からの壁だそうだ。80年以上は経っていることになる。
司令部跡へ
旧友部病院を回ってきて司令部跡正面に来た。
右の建物が記念館。
当時使われていた、号令台跡と向こうに見えるのが「国土交通省 東京航空局 友部航空無線通信所」の無線塔。
何かの因果か。航空機との通信所とは。
司令部の中へ
ここは病院としても使われたので、そのまんま病院の受付っぽい。
これは当時のままの階段。ここもよくロケで使われるようだ。
映画「永遠の0」でこの部屋が使われて、ロケの様子そのままになっているようだ。
病室として使われたようで色々な調度品があった。
上の写真の反対側から。他の見学者はいなかったと思う。
レプリカだけれど、立っているところが跡地だと思うと、感情移入しやすくなる。
ストーブはどちらかというと戦後の病院時代のものかなと。
ランプなどは後からロケのために揃えたのかと。
ギラっとした西日にしたかったので絞った。かっきんと。窓ガラスの質感がすごくいい。
戦時中も使われていたと思うが、なんとなく自分ではここは病院の廊下に感じる。
司令部から病院に代わるとはなんとも言えない気持ちになる。
ここからどんな人が見ていたのか。
強い西日だったのでシルエットにしてみた。
この部屋は真っ黒の部屋で司令室としてあったとのこと。司令たちは特攻隊をどう考えていたのか。
こちらも司令部跡とは言え、病院だったので患者さん同士が眺めていたのか。
窓を接写してみた。雨の跡がなんとも言えない。
ここで1本撮り切って、さらにもう1本撮ったので続く。
フィルムはISO400のHP5+で。
f2のレンズでも室内でISO400あるとなんとか撮れる場合もあるなと。
つづき