NIKON F3とAI NIKKOR 50mm f/1.4Sで旧筑波海軍航空隊司令部を撮ってきた

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愛宕神社の後、筑波海軍航空隊記念館へ行ってみた。

筑波海軍航空隊記念館

ここは筑波海軍航空隊の司令部があったところで、旧司令部跡地の隣に展示館を作ったところ。2018年6月にオープンしたため、全くノーマークだった。

ここ筑波海軍航空隊はかの「神風特攻隊」の発祥の地でもあるということを知った。大西中将が特攻隊の生みの親と言われているが、実はここ筑波ではその前からその考えが生まれていたというものだ。

各モニターでは「桜花」、「震洋」、「回天」などの紹介DVDが流れていた。

特攻隊も「志願」ということだったが、とても挙手をしないという「雰囲気」ではなかったという。この「雰囲気」が怖い。

手を挙げなければ「卑怯者」、「非国民」というレッテルを貼られる雰囲気。

ここ司令部跡地は映画「永遠の0」の撮影にも使われたそうだ。

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ソロモン諸島より引き揚げられた零戦二一型後部尾翼の前で。

旧司令部は友部病院へ 

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NIKON F3 AI Nikkor 50mm f/1.4S (HP5+)

旧正門前。右には友部病院のプレートがあった。この旧司令部跡地はそのまま1960年(昭和35年)に茨城県立友部病院として使われ、現在はその奥に「茨城県立こころの医療センター」となっている。

つまり、司令部は戦後、精神科病院として使われていたということになる。その痕跡はそこかしこにあった。

司令部周辺

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司令部跡はそのまま残っている。

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号令台前から。

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振り返ると友部航空無線通信所の通信塔がある。

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司令部開設当初からある桜並木。

展示館にて

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記念館内の展示室にて。当時特攻隊員と女子学生との手紙のやり取りを軍が斡旋し、特攻隊員がその女子学生宛の手紙に、当時、戦闘機の「キヤノピー」を使って作ったペンダントを入れたというもの。

20歳そこそこの男性、今でいう男の子が必死の特攻隊に「志願」し、女子学生と文通をするということは一体どういう感じだったのか。

ひとときの気休めだったのか、本気の恋だったのか。

他に特攻出撃前に結婚が許され、手紙のみのやり取りしかできず、その後、戦死した後に「遺影」と挙式を挙げた話もあった。

靖国神社の「遊就館」でもこの辛い思いはした。ここでも同じ辛さがあった。今後、先の2つの国家総動員のような大戦争は現実的にはあり得ないと思っているが、争いはなくなることはない。

ならば、どのようにしたら争いを避けることができるのか、考えるべきと思う。この展示館の内容を見ていると、戦争は辛すぎる。

旧司令部内部と精神科病院の跡地として

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司令部跡の廊下。

展示館の受付で許可を取ると、この司令部跡に入館できる。他の入館者もいらしたが、かなり静か。恐ろしいほど静か。

この廊下を軍服を着た人々が行き来していたのかというのは想像しづらいが、ここが精神科の廊下と言われたら理解できる。

ざわざわしておらず、「施設症」となった患者さんが静かに歩いているか、横になっていて、ひっそりとしていたのかもしれない。

最近は綺麗になってきたが、「精神"科"病院」になる前の「精神病院」はこういう雰囲気の病棟が多かった。

昭和30年代からの精神科は「精神病院」と呼ばれ、世界でも独特、ひどい人権軽視の病院、収容所だった。精神衛生法に基づいて、当時の政策誘導もあって入院させた方が儲かるシステムになっていた。

東京オリンピック前には新宿で「刈り込み」があって、ホームレスを東京西部の精神科病院に入院させた経緯もある。 

現在、やっとWHOなどの勧告からベッド数を減らす方針になり、当時強制的に入院させられた人々は、今度は強制的に退院させられている。

つまり入院医療から外来医療の方が儲かるようになった。今、「駅前心療内科クリニック」が増えたのはそのためだ。山奥の病床を持った精神科病院の医療法人が駅前に外来クリニックを持っている。「精神科」ではなく「心療内科」、なんといい響きだろう。

外来にシフトできない地方の精神科病院は超長期入院患者(30年を超える入院者)を抱えながら潰れる方向だ。つまり入院患者が高齢なって亡くなるのを待つのみだ。

少子高齢化の方が先に進んで、市区町村自体が存亡の危機となり、市立病院の方が先になくなるという事態も発生している。(銚子市立病院の例)

蛇足になるが、現在の日本の精神科病院ベッド数は世界的に見て異常に多い。(30万床以上)また入院日数(平均300日)も異常に長い。

参考までに・・・

https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12201000-Shakaiengokyokushougaihokenfukushibu-Kikakuka/0000046405.pdf

https://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/07/dl/s0709-7b_0018.pdf

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おそらく当時のままであろう階段。

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「永遠の0」の撮影のためにセットされたものを再現したという。

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明る陽が入っていた。ヒーターは昔の精神科のものだろうか。

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司令室を再現した部屋。

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どれだけの人々がこの階段を行き来したのだろう。

友部病院跡へ

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友部病院の跡地も歩ける。まさに精神科という感じ。放置され、なおさら狭く、暗く、寒い。全てのドアには鍵がついてる。窓には格子がついていて閉じ込めるという感じ。

鍵を持たずに精神科の閉鎖病棟に入る勇気ある?

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司令部を裏側から見る。雑草が茂っていて、裏側は捨てられた土地といった感じ。増設に増設した感じの配管が「昭和の施設」を感じさせた。

他に奥に行くと戦中に使われた施設や碑などが残っていて、こちらも見てもいいと思う。

さらに奥まったところに「保護室」だろうけれど「隔離室」のような「隔離病棟」とは呼べない部屋もあった。もしかして、ここに閉じ込められていたのだろうかと、想像すると怖くなった。

私も人間なので精神科の病気になる可能性がある。(統合失調症は全人口の1%程度の人が罹患する。好発年齢は18才~35才、男女比1:1、宗教・文化などの違いはない。人間なら1%程度の確率で発症する。100人に1人だ。身近な病気だ。)

万が一、入院が必要になったら自分で選びたいけれど、今、接遇のいい精神科病院ってあるのかなぁ。

訪れてみて

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司令部庁舎を写真に撮ることはできたが、精神科病棟跡地はなかなか撮れなかった。寂静感に支配されていた。

ここは辛い、辛すぎた。特攻隊のことを少しでも知り、その跡地が精神科病院になったこと。その跡地が放置状態であること。

戦争で辛い思いをしたところで、さらに病気になって辛い思いをするところになったというのが、不幸すぎる土地だと思った。

(もちろん治療が行われ、回復していった方々も多いと思う。そう思いたい。)

敷地内の「茨城県立こころの医療センター」がとても綺麗で清潔な建物になっているのが皮肉すぎると思った。

戦争遺構として残したいという思いもあるようだが、精神科の病棟も当時のまま残して欲しいと思った。どちらも二度と辛く、悲しいことが行われないようにという願いを込めて。

まだ見たことがない。なぜか見たいと思えないんだよな・・・。

今まで太平洋戦争を扱ったもので一番よかったのは「硫黄島からの手紙」か。監督がアメリカ人のクリント・イーストウッドというのが切ない・・・。

 あとはパシフィックシリーズ。これも辛いが見応えがある。

ザ・パシフィック セット(5枚組) [DVD]

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amzn.to

プライムにもあるので見て欲しい。

このあとは稲荷神社周辺で昼食の後、もう一度行きたいと思っていた「楞厳寺」へ。

そろそろ長巻を買わないとな。 

aremo-koremo.hatenablog.com

この日の朝に行った、愛宕神社の記事