さて、Leicaの一眼レフだ。最近、これでワイワイしている。
先日はElmar 13.5cm f4.5をM4で使って大変だなと思ったので、LEICAFLEX SLではどうかと。
あと、この先細Summicron 50mm f2のリバーサルので写りも見てみたかった。
一眼レフで50mmという王道の組み合わせ。
一茶双樹記念館にて
f2.8の1/125だったかな。一段アンダーにした記憶がある。
流山に来ると必ず寄る、一茶双樹記念館。
小林一茶とみりん醸造創設者の一人と言われる五代目秋元三左衛門(俳号=秋元双樹)の交流があったからということらしい。
流山はみりんの土地だ。
この建物は1800年代中頃のものを解体修理して再建したものだとか。
f2.8と1/125は同じか?しかし、レンズを障子に向けるとアンダー、オーバが出てわかりづらさはあった。
まぁ、誰もいないよね。この時期だし。庭園の紅葉とかもない時期だし。
庭園の裏側へ。ド逆光。
これもf2.8ぐらいだったと思う。f4にはしていないかな。1/500とか1/250で悩んだような。
これって結構悩ましくて、ファインダー上ではこれぐらいフレア出ているかなとわかっていながらも、あんまり絞れないなと。
そう考えると現代のレンズはこういう場面でも破綻なく写るのかな?
ちょっとレンズを下に向けるといいのだろうけれど、アイレベル?目の高さで撮りたいのよ。
西陽が柔らかい。
ここでお茶飲んだら美味しいだろうなーと。
f2と1/125ぐらいだったかな。ここも明るいところに引っ張られたりして苦労した。
f2と1/30と1/60と1/125を試した。結果これが見た目に一番近かったな。
ほんと露出一つで全然変わってくるね。
ここを撮った時に、あ、一枚目のと同じかと思った。つまり、職員の人が椿を置いてくれていると。
侘び寂び?花鳥風月?こういう言葉って似ていて、つい使いたくなるけれど違いはなんだろうと。
侘び寂びは貧乏だけれど、この風景を見て心は錦だぜ的な?
花鳥風月はどちらかというと自然なのかなと。
花鳥風月な侘び寂びですなとか言っても通じないか。いやいや「察する文化」なんだよ、日本は。
なんとなく言いたことわかる〜って。
f2の1/125。実験的に寄ってみた。多分最短の50cmぐらい。体揺らして撮ってた。
紅葉が完全に落ちないで残っているのもあったり。これは葉の先なのかな?
こういう風が抜ける作りを見ると感心する。
何事も風通しの良さ大事よ。でもね、滞留するのもいいじゃないの。のんびり。
ただ、誰も何もしないと建物は傷むのね。だから人が動いて空気を循環させるぐらいがちょうどいいのか。
一茶双樹記念館の周辺で
f5.6の1/125ぐらいだったかな。カリッとしてくるね。当たり前か。
一茶双樹記念館近くの稲荷神社で。
近くの「杜のアトリエ黎明」にて。こちらも入館は不可だったので庭だけ撮影した。
f2と1/60ぐらいだったかな。寄りすぎず、引きすぎずが難しい。
光明院へ
近くのお寺、光明院へ行った。これって「たいまつ」でいいのかな?なんて言うんだろう。裏手にひっそり仕舞われていた。
f2と1/60ぐらいだったと思う。開放でも像が崩れることなく、この頃、1960年代のライカレンズは古すぎず、新しすぎずで好みだな。
境内の葉書の語源となった「多羅葉の木」の葉に願い事書いてきた。
欲に塗れてもいいじゃないと境内の中心で叫ぶ。
もちろんペンで書いてもいいんだろうけれど、持ち合わせがなかったので落ちていた小枝で書いた。
傷がだんだんと黒くなっていって「葉書」になる。
今度これでラブレター書くか?
赤城神社
流山の由来の一つに、赤城山の「山」の一部が「流」れ着いたところというのがあるらしい。それが縁となって赤城神社の名前だとか。
「不浄なものをさえぎるといわれる大注連縄」とのことだが、私は入れたので私は不浄ではないと証明されたわけだ。
むしろ神々しいぐらいでしょ?
f2の1/60だったな。
ゼーハー言うほどの階段ではないけれど、少し急な階段。
いつもここから撮ってる。
f2の1/15。ぎりぎり。1/8と出たんだけれど、絶対に縦構図じゃブレるし、1/30だとなんとかなるけれど、むしろアンダーすぎる。間とって1/15に賭けた。
こう言う写りを見ると、ライカいいなぁと思ってしまう。ツァイスとも違う感じ。ツァイスってもっとパリッと写る気がする。
湿度感がいいとか言うけれど、ちょっとわからない。
ただ、しっとりした写りというのはわかる気がした。
f2の1/125だったかなー。1/60だったかも。背景のボケがSummicronって感じ。
MのSummicron50、35の2ndの写りににていると思う。
予想通りの写りになって喜んでる。
ちょっと量が多くなってきたのでPt.2へ続く。
使いやすいリバーサルフィルム