なんだか途中雨に降られたりしたがなんだかんだでギリギリ1日もった日だった。秋が近づいてきたなーと思った日。
我孫子市の旧井上家住宅へ行ってきた。
カメラはLeitz minolta CLとFUJINON 3.5cm f2にY1フィルターをつけて、35mmファインダーはWEISUをつけてみた。
SBLOOと悩むが見えがいいのはSBLOO、かっこいいのはWEISU?
Summilux 35mm f1.4ならSBLOOの方がいいかなー。
旧井上家住宅
井上さんはもともと東京の銀座で商いをしていた人だけれど、江戸時代の手賀沼干拓事業に参加した人。そのためこの地、我孫子市に移住してきたと。豪農ということになる。
旧井上家住宅は歴史的建造物として保存されている。それらを見てきた。
駐車場から入ると裏手になる。
すぐに見えたのは井戸。河原が載っているな。
塀には風鈴が飾ってあった。この塀は昭和初期の頃のもの。
上部の装飾がお金持ちっぽい。江戸時代末期のもの。薬医門という形式。
裏門へ続く塀。大正時代後期のもの。
途中見つけた、カタバミの家紋。
ここは雰囲気あると思う。道沿いにあるのでリアルな感じもした。
大正時代後期。
油も売っていたようで、油を漉す場所だったらしいが不明とのこと。
大正時代後期の建築。
鳥籠かな?
昭和初期のコンクリート造り。
ちょっと雑然としていたのが残念だけれど、確かに釜が残っていた。
江戸時代末期の建築。
家紋入り。松平家からの嫁入りの時に持ち込まれたもの。
カタバミの家紋と下は井上家の家紋で井桁に三つ星。家紋が二つあったとのこと。初めて聞いた!
庭門。母屋横の中庭へ入る。昭和初期。
これなんていう道具だったっけなー!柄杓でいいのかな。
昭和初期の建築。
人の顔みたいに見えてしまう。シミュラクラ現象!心霊写真とかそんな感じよね。
江戸末期の建築だそうだ。
床は湿気対策で貝が埋め込まれていたという。その破片が落ちていた。
表門のそばにも釜があった。カエルがいたのはここに放したのか自然に生まれたのか。10匹ぐらいいたぞ。
左は母屋。他には誰もいなかった。入場は無料で快く迎えてくださった。
ここはお勝手口に近いのかなと。
この頃に少し雨がぱらついてきたので、ご挨拶してお暇することとした。
職員さんという感じはしなかったけれど、井上家の関係者の方なのだろうか。
裏手の門。井上家の家紋で井桁に三つ星。
豪華絢爛というわけではないが、利根川にも近く水運を使って商いをするという方法は、佐原でも聞いたし、もちろん野田の方もそう。
利根川、江戸川を使って、江戸へ物資を運ぶ方法はこの辺りならではの方法だけれど、川があるから人が集まるのはどこの国、地域も同じかと。
肥沃な土地とか習ったもんね。川が氾濫するから公共事業が発達するとか。治水事業。干拓事業。干拓すれば農作物が多く獲れて、お金になる。経済的に発展する。
経済が発展すれば軍拡できる。軍拡できれば植民地を増やすことができ、再び土地を得て経済的発展と食糧の確保。そして軍拡と。
人口が増加する限り戦争は無くならないよなーと飛躍して考えてみたり。
戦争は政治だよねとか。
つづいて安食の大鷲神社へ向かった。つづく