いすみ市の妙泉寺をGoogleマップで眺めていたら「旧日本軍桜花基地」を見つけた。
史跡名としては"特攻機「桜花四三乙型」行川基地跡"と言う。
この時、最初に妙泉寺に訪れたあとに、ここへ立ち寄った。
妙泉寺から回り込んで行くと、この旧中川小学校の脇に出る。体育館の窓ガラスは割れているし、壁面に割れ目もあった。
調べると2017年に中川小学校と国吉小学校が統合し、夷隅小学校ができたとのこと。
つい最近まで使っていたかのような雰囲気だった。5年前か。桜が綺麗だった。
空き地に車を寄せて歩いてみるとすぐに看板が見つかった。
ポツンとこの看板がある。「桜花」は靖国神社の遊就館にレプリカがあったかと思う。
特攻機「桜花」は一式陸上攻撃機に吊り下げられて「グライダー」のように射出され、ジェットエンジンで滑空し、敵艦船に特攻する兵器だった。
1944年3月の九州沖航空戦に初めて投入され、その後、沖縄などで特攻を行う。その強烈な攻撃力は戦後にアメリカ軍艦の対空砲を換装させたほど。
終戦間近になり、陸上からもカタパルトを使って太平洋から上陸する敵艦船へ特攻する兵器として「桜花四三乙型」として改造された。より航空機に近い形になったという。
この行川基地、カタパルト自体は1945年7月26日に完成していたが「桜花」がここに来ることなく、終戦を迎えたとのこと。
この看板には60m先に基地跡があると書いてあるが・・・。まさかこの藪の中とは梅雨知らず。
間違えて道沿いに進んでしまい、畑に出てしまった。そこで作業をされていた方に尋ねると逆だと言われた。
看板の先に進んで行くと切り通しがあって、その先に格納庫があるからと。
看板まで戻ってきた。やっぱり薮しかない。藪漕ぎ?いやー、これは蛇とか危険。
そう思っていたが、これは無理と思い、この看板の左手から進んでいった。
ほんと、ここ歩くの?という感じ。しかし、少し手入れはされているようにも思えた。足元は緩い。
もう、ここ絶対にヒルいるよーという叫び声が少し遠くで聞こえた。
申し訳ないが進むしかないんだ。
先ほどのところから進むと、右に曲がるところがあって、見上げると切り通しみたいなのがあった。この先?ほんと?
妻はもう無理ーと。そうだよね、ごめんねと私1人で進入。
切り通しを抜けるとこの風景。これであっているのか?
さらに進む。
カメラを出して写真を撮ってはカバンにしまう。また出して撮ってカバンにしまう。この連続。出しっぱなしでは歩けない感じ。
道あるか?ここから少し藪を抜けると・・・。
これは!?カタパルトのための旋回盤の跡か!この右側を見上げると・・・。
藪の中にあった。あったー!と叫んでしまった。それぐらい看板からは遠かった。60m程と看板に書いてあったが、120mはあったと思うわ。
真っ暗で大きい穴。高さは10mはあるか?横幅は5mぐらい?
M2とFUJINON 3.5cm f2の組み合わせで正解だった。藪で引くことができなかった。
なんか気分が上がった。戦跡を見つけたことに興奮した。こんなところにひっそりと残っていたなんて。
絶対にヒルがいる。これは底なし沼よ!と言われながらも、写真を撮りまくった。
ほんと足元はぬかるんでいて、履いてくる靴を間違えた。
ここまで近づいても中は良く見えず、奥も見えない。どこまで深いんだろうと。
崩落の危険があるので進入は禁止。というか、今回の靴ではこれ以上は無理だった。
壁面には人の手が入った様子が受けられた。
ギリギリまで寄って撮っても奥が見えない。どこまで深く格納される予定だったのか。山を使った掩体壕みたいなものか。少しの爆撃ぐらいではびくともしなさそう。
何だか信じられない。全く人気のない、ここから特攻兵器が出撃するなんて。想像できない。
一通り撮影して、小学校跡へ戻る途中。一応、手入れがされている感じを受けた。
先ほどの格納庫があった山中には小屋が2つほどあったので、そこで作業されているのかなとか。
戻ってきた。赤い屋根が小学校。ここがカタパルトだったのではないかと想像している。
小学校方面が外房、太平洋方向なのだ。
格納庫から出て旋回盤で転回し、切り通しを抜けて、ここで射出だったのだろうか。
幸い、ヒルなどの被害には合わなかったが、ここが戦場になっていたのかもしれないと思うと何とも言えない気分になった。
でも、こういうものを見ることができてよかったと思うし、残してもらえてよかった。考えるきっかけになる。
最近のニュースは戦争、戦争。日本も他人事ではないよなと。
過去から学ぶことは多い。未来に生かせるように考え行動できるかどうか。
ちなみに桜花の基地は房総半島には12基設置される予定であった。
近くの大多喜の黒原にも桜花の基地跡があるようだ。
他には南房総市の「下滝田基地桜花カタパルト式滑走路跡」が知られる。
房総半島は首都に近く、本土防衛、本土決戦のために相当な数の軍事的要衝が存在していたので、戦跡がかなり多く残っている。
こういうのもある。