"B29搭乗員の墓"を見てきた

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某所ににあると言われている、"B29搭乗員の墓"を見てきた。

当時の戦争当事者のお墓ということなどの特殊な事情もあってかなり注意深くアップ。国際問題にもなりかねないので。ちょっと繊細な場所なのかなと。

今回は"いつも"お世話になっているヘクトールさんが役所に問い合わせをしてくださり、それこそ何度も役所の方と連絡を取ってくださり、やっと今回の機会を得ることができ、土地の現所有者の方に墓参の許可が得られたので早速行ってきた。

ヘクトールさんにはいつも何から何までお世話になっております。感謝!

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またブログなどの掲載も役所より許可も出たので今回書こうと思った次第だ。

ちなみに役所の方のお話だと、許可を得て県外の方がここに来たのは我々で2回目とのこと。

目次

B29搭乗員の墓建立の経緯

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お墓の建立は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月29日に同地にてB29が墜落したことがあり、12人の搭乗員のうち、1人の遺体のみ発見することができ火葬を執り行ったということから、墜落現場に「B29搭乗員の墓」を1951年(昭和26年)に現地の方が建立したことから始まる。

その後はご家族で管理され、また地元などの有志の方々、役所などの協力で管理され、5~6月の草刈りなども行われている。

B29について

アメリカ空軍所属のB29は「ボーイング B29 スーパーフォートレス」といい、ボーイング社「大型戦略爆撃機」でB29のBは爆撃機="Bomber"の略だ。

ちなみにF35などの"F"は戦闘機の"Fighter"の略。C130はCargo=輸送、A-10サンダーボルトのAは攻撃機=Attackerの略。

B29の前はB17で中型爆撃機となる。日本本土を空襲したB29の多くはサイパン島より飛来した。さらに1945年3月に硫黄島が占領されると、そこからも来襲した。

是非とも見てほしい映画だ。

性能も高高度による飛行が可能で日本軍の迎撃機もその高度での迎撃も難しかったという。

当時のことを知る方ののお話だと、(貴重な資料を手にお話を伺うことができた)当該のB29は1945年5月29日夕方4時ごろに墜落したということだった。当日行われた「横浜大空襲」(wikiリンク)へ来襲した517機のうちの1機とのこと。

かつ、搭乗員の階級なども判明しており、その階級より戦果評価のための飛行だったのではないかということと、現地の高射砲が撃墜していることになっているが、おそらく既に被害を受けていて、現地上空で爆散したように近いとのこと。

搭乗員12人の内、空中にてパラシュート脱出した1名以外は全員即死と言われ、さらに脱出した兵士もパラシュートが開かず、そのまま死亡とのこと。遺体が唯一きちんと残ったのはこの方のみで、火葬に付されたという。

その遺骨と散乱した遺骨は米国へ返還されたということだ。

慰霊碑=お墓への行程

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前日に長靴などの装備が必要とのアドバイスを受け、急ぎワークマンで長靴と手袋を購入した。

当日、お墓への道のりはかなりぬかるんでおり、長靴は必須だった。実際足首まで浸かったし、何度もぬかるみに足がはまった。

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冬なのに道というような道がなく、掻き分けて進むような状態。春から夏などは確実に藪漕ぎになると思う。安易な装備では行かない方が良いかと思う。

周辺も何もない。そこから木々や藪、ぬかるみを分け行って進んで15分弱。

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突然、本当に突然、ポンとお墓が出てきた。あれだけネットで検索すると色々と出てくるが、ひっそりと存在していた。

撮影開始

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NIKON F80S AF-S NIKKOR 35mm f/1.8G ED (RDPIII)

「B29搭乗員之墓」と彫られてある。

往路は何も情報がなく、土地勘もなかったのでカメラは出さず、スマホのみでの撮影となった。土地勘があれば、または"転倒しても良い"のならカメラを持ち出してもいいかもしれない。

往路は道がわからないので進むことで精一杯だった。途中スマホでぽちぽちと撮影した。

カメラはNIKONのF80S、レンズはAF-S NIKKOR 35mm f/1.8G EDで、フィルムはリバーサルフィルムのプロビアで。

 

 

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建立された日付が彫られていた

 

日付と建立した方の名前。

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引いたところから

辺り一面、野原なのだけれど、ここだけ綺麗にされている。

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かなり険しい道

往路でも苦労したが、こういうふうにボランティアの方が設置したのか手作りの道が多くある。

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紅葉

戦争という人の営みがあっても何も変わることなく自然は自然で存在している。

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タネ

これは冬になるとタネになる。山芋科の種子らしい。モノクロフィルムでも良く撮る。

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向こうがお墓のあるところ

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進んでいるのか進んでいないのか

ずっと変わらない景色。

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人の気配のないところ

フル装備のヘクトールさん。これぐらいでちょうどいいぐらい。冬だからまだこれぐらいで済んでいるのかもしれない。夏は歩けるのかどうか。

1945年当時、墜落したこの現場で人々は何を思っていたのか。憎しみ?好奇心?喜び?恐怖?

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夏は藪漕ぎになるのか

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かなり戻って来てもこの光景

かなり藪は深く、ボランティアの方々が整備してくれていなかったらとても歩けないと思う。

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道を作って歩く感じ

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戻って来て

やっと戻って来て最後に一枚。

なんだろう、辿り着いた時はあっけないという感じもしたけれど、どれだけの人たちが関わっているのだろうと今は思う。

人が関わらなければ、ここは維持できない。

人が死んだから人が関わるのか。

人は人と関わり続けるのか。

なぜ、当時の敵国だった兵士の墓を作ろうと思ったのか。

さまざまな思いを巡らせながら現実に戻って来た。

滑って転んで

ここからは笑ってくれ。

往路はなんとなく「知らない道」だったので、注意深く歩いて行った。それでも泥に足を取られたりと色々あった。

復路は少し油断があったのかもしれない。

若干往路の方が上りだったように思う。復路、そこを下ることになる。

少し坂になっているところがあった。私の先を歩いていた、ヘクトールさんが足を伸ばした瞬間、すってん!ころん!

まさにコロンと転がった。と、いうのもカメラを手に握っていたのでカメラとレンズを守った形になったのだ!

カメラはツァイスイコンZM、レンズは8枚玉の白。

不届な私は「あ、転んだ」「でも、白の8枚なら(壊れてもいいかも)」と思った。とっさに。

怪我よりもそっちが先に脳に浮かんだ。シナプスの電気信号だから抵抗できない感じ。

ああ、そうじゃない、怪我の方を心配すべきだと、コンマ3秒ぐらいで思い直し、ヘクトールさんに「大丈夫ですか!?(8枚玉は!)」と声をかけたところ、ヘクトールさんは顔を上げて「大丈夫です!カメラとレンズは守りました!」と極めて真面目に答えて来た。

笑いそうになったが、泥まみれになったヘクトールさんがそう答えているということは怪我はないということだ。

よかった。

しかし、まだ転がったままのヘクトールさんを起こしに行かねばと足を下ろした瞬間。

「だめだー!俺もー!」(と、叫んでいたらしい)

ずるん!と踵が滑り、坂を転げた。

尻餅をついた。泥だったので痛みは少ないが衝撃があった。眼前にカメラが舞っているのが見えた。

今回はカメラをネックストラップにぶら下げていたのだった・・・。どしんと、泥に尻を落とした瞬間、カメラも泥に落ちた。

ああ!と思ったが、冷てぇ!泥が尻に染み込んできた。

カメラはなんとか泥まみれにはならなかったが泥を被った。

そして、ヘクトールさんが「アレモさーーん!」と叫ぶ。

森の中で中年男2人が泥に塗れ、転倒。

ここはベトナムかと思った。泥に尻をつけて。

ヘクトールさんは"察した"のか「カメラは!?」と。「大丈夫です!」と答える私。

そして「アレモさんやめてよ〜、これじゃ漫才〜」と叫ぶ。

我々は体よりもカメラ。悲しいのう、悲しいのう。

家でカメラ選びしている時に万が一、転んだりしてもいいようにライカはやめておこうと思ったのが功を奏したのかもしれない。転んだけれど。

「これ、ビットだったらやばかったですね」と怖いことを言う、ヘクトールさん。まさにヒットマン。

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ビットが胸に刺さって心臓貫いたら笑うに笑えない。

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かわいいお尻だろ?

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この程度の汚れで済んでラッキーだった

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今回もリュックに助けられた

背中近くも守ってもらえた。

実はこの中にはM2とビットが入っていたのだった。無事だった。よかったな、よかったな。

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いつも転ぶおっさんたち

いやー、いやー、ほんとなにかしらありますねと2人で笑いながら泥を落としたのだった。

今回は当時の人の話しを聞けて色々考えるものがあった。

2006年(平成18年)8月8日に米国大使館職員などを招いて慰霊が行われている。

最後に、もし興味を持って訪れたいと思うのならば、この場所は大変な思いの中、建立されたところでもあり、万が一悪戯などがあれば国際問題にもなりかねないのできちんと許可を取って訪れてほしい。

そもそも私有地の為、無断で立ち入る事は出来ないので注意して欲しい。

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