印西市の吉高宗像神社へ

印西市松虫の「杉自塚」から同じく吉高にある「吉高宗像神社」へ向かった。

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引き続きカメラはM3とSummicron 50mm f2。

なんか気のせいかペイントが禿げたか?

ナビに従って到着すると、二手に分かれる道。左は畑へ通じる道だった。真ん中の道が参道だった。

入るなり、木々に覆われて雰囲気が良い。静かだ。

入り口近くに「掃除当番表」が貼られていて、令和11年まで決まっていた。

鳥居。境内はそれなりに手が入っている感じはした。

両脇の木には「吉高鎮守 宗像神社」と書かれていた。北総には宗像神社が結構あるが、鎮守として存在しているのか。

鳥居を振り返る。あ、集落と神社が1本道で繋がっているのか。

かなり大きな木。紅葉の時期はすごいみたいだ。

常夜灯には日露従軍兵士の文字。従軍兵士からの寄贈?祈願?

新緑と苔が出迎えてくれた。かなり好きな雰囲気。

拝殿。素晴らしい風景になっている。あえてカラーポジでもよかったか?とさえ思った。

振り返るとまた光加減が違っていい。

本宮。

本宮の出入り口?にはヒイラギ。

拝殿の左にあった。的と矢。どういう意味なんだろうか。

オビシャと言う行事とのこと。

www.city.shiroi.chiba.jp

摂社の金刀比羅神社。安永4年、1775年に建立と書いてあった。

神社周辺を歩いてみた。古びた階段があった。

奥には石碑があった。しかし逆光で読めない。歌のようにも見えたが?

画像を拡大して、かろうじて読めるのは大正七年一月十一日金〜

だいぶ崩した文字で書かれている、光る?友?などの字があった。

調べると、大正7年、1918年1月11日は金曜日だ。

同年8月にシベリア出兵

11月まで第一次世界大戦。

1918年1月11日金曜日に何があったのか?建立した日?

もうすでに誰も手をつけていないようで緑に覆われつつあった。

「村社 宗像神社」の石碑。道標みたいな感じだった。右の道がまっすぐ神社へと繋がっている。

反対側には小さな石祠。道祖神のようだ。

これ、大師堂かと思い込んでいたけれど、「吉高女人講像」だった。左下の石像がなんかおかしいなと思ったら、子安観音かもしれない。

印西市吉高といえば「吉田の大桜」が有名だけれど、ちょっと視野を広げるとこんな風景があるとは思いもよらなかった。北総地域は侮れない。

次は松虫寺へ

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