正月に1年半ぶりに益子に行ってきた。
前回は大谷石の大谷石資料館に行って、益子に行った旅だった。
益子は2008年の11月に初めて訪れて以来、ほぼ毎年行っている。
ある時は宿で朝食を食べていたら、店員のおばさんに「あら?去年も来ていただいわよね?」と言われた。
おばさまキラーな私。
毎回ほぼ何かしら陶器を買って来ている。
今回は陶器もさることながらさらになかなか行ったことのない奥地へ目を向けてみた。
もえぎ本店
ギャラリーとカフェを併設している、もえぎ本店へ。
ギャリーでは撮影も可能だというので好きな物を撮らせてもらった。
陶器を使ったランプは暖かい灯り。
ギャラリーを見た後はカフェが併設されていて、陶器を販売しているところで器を買った。
どうも好んで買っている器の作家は同じ人らしい。
その後、周辺を散策し少し写真を撮って後にした。
昼食は思ったより混んでいて、あちらこちら探して、森のレストランで。
笑う閻魔様
その後、西明寺へ足を伸ばした。
普門院診療所も併設されていた。有床の診療所とのこと。
あ、「医院(診療所、クリニック)」と「病院」の違いはなんでしょーか?はい、ベッド数が19床以下が医院でした!
いきなりの長い階段に恐れをなしつつも階段を登っている途中、立て看板で説明を読んでいると、英語でも説明があり、「Laughing Emma」と書いてあり、え?笑う?とクエスチョンマークを浮かべながら階段を登りきると、立派なお堂があった。
そして隣には「閻魔堂」があり、「中で閻魔様をみることができる」と書いてある。早速入ってみると・・・
これは・・・鎌倉でも閻魔様を見たことあるけれど、なんか違う?
左右にいるのは司録と司命かな?地獄の書記官。
仏様を見るより閻魔大王を見るとワクワクするのはなぜか。
私の人生は業が深いのか。
笑い閻魔とは… 西明寺の閻魔様の横には地蔵菩薩が立っておられます。閻魔は五七日本尊地蔵菩薩の化 身とされています。どうして、お地蔵様が地獄にいるのでしょうか? 悪いことをしたのでしょう か? いいえ、違います。それは、地獄に落ちた人を救う為です。お地蔵さまは「他人の為なら 地獄にまで行く」という菩薩行を実践する人なのです。お地蔵様は決して怒らず、いつも笑み を浮かべています。そして地蔵菩薩の真言は 「おん、かかか、びさんまえい、そわか」
「オーン、ハハハ、ヴィサマエー、スヴァーハー」
(笑い声)
つまり、上の写真はスヴァーハー!と言ったところか・・・
すごく惹かれたのはこっちだったりする。
この婆、「奪衣婆(だつえば)」は三途の河の渡し賃を持ってこなかった亡者に対し、また服を着たまま渡って来た亡者の服を剥ぎ取り、その服を懸衣翁(けんえおう)に渡し衣領樹にかける。
その服の重さには生前の業が現れ、その重さで死後の処遇を決めるという。何この設定。めっちゃかっこいい。
奪衣婆 - Wikipedia 懸衣翁 - Wikipedia
よくできた話だなーと思いつつも、私が死んだ時にはせめてレンズを持たせて欲しい。
レンズを渡せば奪衣婆も喜ぶに違いない。レンズはノクチルクスにしてくれ。
130万円なら三途の河を渡れるに違いない!
しかしこの重さゆえ、三途の河で溺れるかもしれぬ。
成仏できなかったら、君たちの枕元、いや、防湿庫のそばに立ってやる。
西明寺の裏手は深い森。ハイキングコースになっている。
おばあさんがすっすっと登って行ったのが見えたので着いて行った。
この階段。
向こうに見えるのは三途の河にある衣領樹?服をかけないと!
こんなところで全裸になったら寒くて死んでしまう・・・。
この斜面がずうっと続き、先が見えなくなったので戻ることにした。あのおばあさんどこへ・・・。
足をガクガクさせながら降りて来たら、日が傾いて来て、西日が強く当たって来た。
あ、なるほど、これで西に明るい、「西明寺」なのかなとかなんとか。
その後、「イチトニブンノイチ」で美味しいマンデリンを飲んで一休みしつつ、夕食の情報を仕入れる。
益子はすぐにお店が閉まってしまい、夕食が食べずらいのだ。
地元の人が行くところに行くしかない。
夕食は教えて頂いた、王虎(ワンフー)でセロリラーメンを食べた。
普通にうまい。もう一度食べたい。
古道具屋さんで写真乾板を発見
夕食前に以前から来たら寄ろう寄ろうと思っていた、内町工場に寄ってみた。
ここはいわゆる古道具屋。ここで面白いものを発見。
イルフォード製の箱。そこに入っていたのは・・・
写真乾板。
一箱で売っていて、店主は「箱が欲しかった」と言っていたが、何を言う、乾板の方が欲しい。
乾板10枚と中判フィルムのネガが6枚。1000円。安い!即決。
宿に戻ってよくよく見るとどうも明治の終わりぐらいから大正ぐらいかと。
少なくとも戦前前というのが感じられた。と言うのも、写真から生活感に「余裕」が感じられるのと、「国民服」が一枚も写っていなかったからなんだけれど。
あと、写真乾板は昭和初期(1930年=昭和5年ごろ)にはロールフィルムに駆逐されているし。
フォトショップで反転してみた。フィルムで撮っているので解像感が低いけれど、まざまざと当時の生活が浮き上がってくる。
ちょっとこれらの写真乾板とネガはスキャンとプリントをしてみたいと思っている。
せっかくα7Sも持って行ったので、宿でチョイ撮り。
常宿のフォレストイン益子、市が運営している。素泊まり5400円〜。
廊下。
戦前Primoplanはぐるぐる回らない。大好きレンズ。
あまりの寒さに数枚で撤収。
一応、α7Sなので星も撮ってみた。
オリオン座。f1.9開放、ISO12800、SS1/60。SS優先。
ISOはAuto。普通に手持ちで撮れた。こんなものかなと。
この日買った、ひょうたん型のお皿。かわいらしくていい。
半分にお酢を入れて半分に醤油を入れて、餃子用に!?
作家さんを調べたら前回も同じ作家さんの皿を買っていた。
益子焼き、陶器は少し肩張るかもしれないけれど、こんな風に毎日、使える器やお皿もあるので、自宅の食器棚には益子焼きがちょっとづつ増えて行っている。
二日目に続く。
今回使ったフィルム。少し軟調なのか、粒子感がある感じ。T-MAX液1:4で20度、7分。
前回、益子に行った時の記事。大谷資料館は楽しいよ。