ライカレンズの代表は?と問われれば、ElmarかSummicronで異論はないと思う。
そして、何もわからないから初めての一本に何を買ったらいいのかと問われればSummicronの50mmか35mmと答える。新品。
では、この初代Summicron 50mm f2の設計者は誰なのか?
Walter Mandler(ウォルター・マンドラー)なのか?
目次
- Summicronの設計はMandlerじゃない?
- Otto Zimmermannという人物
- Summitar*から始まった?
- 空気レンズ
- Summicronは過大評価?
- Summicron 50mm f2について
- 初代Summicron 50mm f2の設計者は
Summicronの設計はMandlerじゃない?
Summicron 50mm f2を設計したのはだれか?と問われれば、Walter Mandlerと答える人が多いと思う。
しかし、それは"言い伝え"みたいなもので、本当は誰?と思っていた。
今回、やっと重い腰を上げて改めて調べてみた。
ま、Summicronを買ったからなんですがね。
Otto Zimmermannという人物
なんだか、Walter Mandlerが初代Summicron発明みたいな感じになっているけれど、どうも"Otto Zimmermann"とかなの?という疑問がずっと残っていたの。
ちなみに"Leica Wiki"には一文字もWalter Mandlerは出てこない。
戦後はSummitarもコーティングされてより良くなるも、更なる発展系としてのMax Berekのお弟子さんのOtto Zimmermann(オットー・ジンマーマンorチンメルマン)、Gustav Kleinberg(グスタフ・クラインバーグorクライネベルグ)の2人のプロジェクトによりSummicronが設計される。
米国特許より
https://pimg-fpiw.uspto.gov/fdd/78/224/026/0.pdf
1950年のこの時点でradioactiveなるワードが出ているので最初に放射性物質(酸化トリウム)を含んだガラスを使うことが前提のようだ。
参照:DR Summicronは選ばれたレンズなのか?:機能の黒板みたび:So-net blog
(た)さんのこちらの記事は大変有益で勉強になりました。ありがとうございます。
Walter Mandlerの件で調べると、いつも(た)さんのツイートがひっかかり、上記の記事によって以下のことが証明されているものと思います。
僕は初代ズミクロンを調べるに当たってズミクロンの特許からスタートしたんだけど、ライカ研究家なる人々がライツの特許を全く見ていないことに気が付いて幻滅してる。ウォルター・マンドラーの名前は初代ズミクロンの特許に出てこない。 https://t.co/4DTOFut0a6
— (た) (@TeeHiro) 2016年8月5日
この熱意、本当に頭が下がる思いです。
Summitar*から始まった?
81万台のシリアルにSummitar * 5cm f2という、Summitarの*マーク付きのレンズが出たのも1951年のようだ。
これが最初期のSummicronとも言えるがレンズ構成が不明。
1951年に92万台から始まる、沈胴Summicron、いわゆる「トリウムSummicron」が発売されるも変色問題を抱えて、トリウムガラスに変わるレンズが利用されるようになり、これが普通のSummicronとなる。当たり前だが。
個人的には沈胴Summicronと固定鏡胴Summicronの写りが若干違うと感じたのはこのガラスの違いによる、研磨などの違いなどの設計の違いがありそう。
どこもかしこも、伝説のSummicronの設計はWalter Mandlerだ!が有名だけれど、それを証明するものが出てこない。
先の二人のプロジェクトだったっぽい。
DPMAregister | Patente - Registerauskunft
さらに1957年のこちらからはRudolf Rühlも加わっている。
ここにもWalter Mandlerの文字はない。
空気レンズ
前群の針合わせをあえて剥がして(?)接合面をなくして向上を図ったのが空気レンズということだ。
Summicronは空気レンズが云々と言われているが、要はSummarはSummicroのおじいちゃん、SummitarはSummicronのお父ちゃんって感じで、それぞれ、ああ、そんな雰囲気あるかなーと。
Summicronは過大評価?
Summicronはどうも当時の設計者たちには懐疑的に見られている節もある。
また、キヤノンの伊藤宏氏はこう述べている。
「ぼくはズミクロンは実力以上に評価されていると、実は思っているんです。あれだけの材料を使い、あれだけ凝った設計をすれば、もっといいレンズになる。」「きわめてわずかな空間を空けるとか、使っている材料に特殊なものを採用しているとか、レンズの曲率にしても非常にきつい方法でやっているから、一度にたくさん磨けないなどと、いろんなことがある。だからズミクロンと同じものをキヤノンでつくるかといえば、つくらないでしょうね。」
アサヒカメラ1993年12月増刊号 哀愁のアンティークカメラIIIーレンズ編 P125
伊藤氏の意図としてはあれだけの贅沢なガラスを使って、さらに研磨も大変な作業が必要なレンズなので、もっといいレンズになったはずだと。
時々、Summicron 50mm f2は意図的にf2にしてる、f1.8ぐらいはいけたはずなどと言われるのを聞いたが、こう言うことかなと。
そんな生まれのSummicron 50mmは今でも超高性能、高価なレンズとしてAPO-Summicron 50mm f2 Asph.が君臨している。
まぁ、お金かければそうなるよねのお手本か。
ちなみに伊藤氏設計のCanon 50mm f1.8は素晴らしいレンズだ。これぞスタンダードレンズ。初めてのRFレンズにもおすすめだ。
Summicron 50mm f2について
私が初めて買ったSummicron 50mm f2は実は2ndだ。(これこそWalter Mandlerの設計)これは大変よく写るいいレンズだった。不満がないぐらい。
その後の3rdも普通のガウス型で、そのまま外観だけ変えて4thへ。
そして、先のApo-Summicronへと行く。
デジタルが売れなかったらライカは潰れていたし、Apo-Summicronもこの世には出なかったと思う。
固定後期はM3とセットでシルバーのを使った。大変よく写り、素直ないいレンズだと思った。
その後、固定鏡胴の前の「沈胴」Summicronにも興味を持ち、やっぱり"トリウム"Summicronを手に入れた。
沈胴は結構安かったので都合トリウムを2本、普通のを2本ぐらい使ったかも。
結果、固定後期とトリウムになり、トリウムだけ残して10年ぐらい使った。
しかし、それも手放した。
結果、固定後期Summicron 50mm f2のブラックペイント、イエロースケールを手にした。
撮影してきたが、大変満足している。M3とSummicron 50mm f2の相性は抜群だ。
初代Summicron 50mm f2の設計者は
初代Summicron 50mm f2はWalter Mandlerではなく、Otto Zimmermann、Gustav Kleinbergの2人と思われる。
個人での検証はこれが限界だった。
他の検証がありましたら、ぜひ教えてください。
もっと資料本が欲しいな。