母校がなくなった

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M6 Elmarit 28mm f2.8 (TX) Dec.2008

通っていた高校がなくなった。つまり母校がなくなった。

少子化の影響なのかどうかはわからないけれど、まだ建物自体は残っている。

いつも夢に出てくるのはこの高校時代の仲間たちで、部活、当時好きだった子、学校生活、様々なことが夢に出てくることがある。色々と多感な時期だったのだと思う。

私自身、高校時代は特に変わった学生ではなかったはずと思っていたが、どうも手がかかる生徒だったようだ。それは卒業後に知った。

進路相談した先生からは「お前は頑固で大変だった」とか。もしくは「高校を卒業できてよかった」とか。

いや、別に成績が悪かったわけではなく、色々と思うことがあったからで、"高校なんて行かなくていい"と思っていたことがあったから。

中学を卒業して、受験勉強も終えて、念願の高校生活というより、やっと受験から解放されたという思いが強かった。

勉強はするものというより、「させられるもの」だったので苦痛だったし、志望校に合格できるのか不安だった。

それに志望校と言っても「偏差値」以外で選ぶ余地は全くないのだけれど。

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M6 VC Heliar classic 75mm f1.8 (SS) Jan.2012

誰もいない校庭

そんな学校生活が始まって忘れもしない6月。

授業中にふと外の校庭を見たら生徒たちが体育の授業を行なっているわけでもなく、誰もいない校庭が見えた。

そのとき、あ、高校辞めたいと思った。

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Canon EOS7s EF 50mm f1.4 (PX)sep.2008

その瞬間から一気に思いは巡って行った。

授業中ずっとぼんやりと考えていた。そもそも学校がつまんないし、笑うことも減った。

予習復習して授業に臨んでも、それは大学に入るためだけ。高校にいる意味はないと思った。

よって、当時の私は勉強をするのを止めた。

部活を終えてからの予習復習はもちろん、授業中も高校をやめて、大学受験をどうするかなとかばかり考えていた。

7月の後期テストが近づいてくると、皆が机に向かうことが多くなって、特に小テストの時などは授業前に勉強している子たちが目立った。

なんで勉強しているの?

その時、私はその子たちに突然問いかけた「ねぇ、なんで勉強しているの?」と努めて明るく、それでも冷たく言い放った。

すると2~3人の女子たちは「え?」と言い、皆で顔を合わせて「なんでって・・・」と言ったきり、休憩時間が終わり、授業が始まった。無論小テストはボロボロだった。

あの時の女子たちの名前はもう覚えていないが表情はよく覚えている。

その後の7月の後期テストもやる気全くなし。結果成績は順位にして200位ほど後退した。

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PENTAX ME Super M 50mm f1.4 (fomapan100) Sep.2006

体罰のある部活

そのまま、夏休みを迎え、部活には通っていた。理由は体罰の激しい顧問で怖かったから。怖くて休めなかった。休むと殴られるから。

でも、部活に出ても気にくわないプレーすれば殴られる。どっちにしても殴られる。

今思えば、殴られに行っていた以外理由はないのに、怖くて通う、失敗して殴り、蹴られた。全生徒が平等に殴られた。

そういう意味では平等だった。

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Ricoh GR1s (TX) Jan.2007

殴ったせいで鼓膜が破れ、その顧問が自宅に謝罪に行ったこともあった。

当時でも教頭から呼び出されて「殴られていないか?」と調査を受けたことがあった。

それでも2年半殴り、蹴られ続けた。

結局顧問は"非常勤講師"から"教諭"にはなれなかった。おそらく教員採用試験に受からなかったのだろうと推測している。

その後、教員の道を諦め、会社員になって結婚したと聞いている。

当時顧問は26歳。26歳が16~18歳の子供を殴って蹴っていた。

それも高校をやめたい理由の大きな一つだった。その恐怖の部活動は今でも夢に出てくる。

呼び出し

夏休みが明けた途端、HRを終えた時に「あとで職員室に来るように」と担任に呼び出された。やっぱりなという感じだった。

5月の前期テストでは約400人中30位内に入っていたので、特に勉強ができないわけではないと思う。それが200位も一気に後退したのだから当たり前だと思っていた。

部活仲間には担任に呼び出されたから部活に遅れると言伝しておいた。

職員室に入って担任の前に座ると、担任はため息を吐いてから大声で言った。「どぉうした!?」と。

予想は的中して成績のことだった。理由を言うと、「うーん、大検(=高認)は難しいぞ」と言われた。いくら勉強ができてもあれは受からないと。

それでも私は辞めたいの一点張りだった。

別に「うつ病」という感覚はなかったし、食欲もあったし、睡眠も普通にできた。無論、普通の男子高校生並みの「性欲」もあった。

当時、自分は「性獣」だと思っていたぐらいだ。上には上がいたけれど。

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Olympus XA (DELTA400) Nov.2012

その日はやめたいの一点張りだったから、とりあえず、解放されたが、その後からほぼ毎週、決まった曜日に呼び出された。「どうだ」と。

変わらずやめたいの一点張りと大検は難しいぞの一点張りで平行線だったが、一点変だなと思っていたことがあった。

当時の担任は職員室での面談中あまり喋らなかった。

なんだ、どうしたと思った。もっと説教をしてくるのかと思っていた。

担任はとても口下手でHRではほとんど何も喋らなかった。「自分は田舎から出て来て話すことがあまり上手ではなくて」とも言っていた。

それが呼び出しておいてなんだろうと疑問にさえ思った。「大検は難しい」ぐらいしか具体的なことは言ってこなかった。

あと、かつて担任で受け持っていた生徒が中退して大検を取ると言っていたが、やはり取れなくて働き始めて、通信制の学校に改めて通っているとも言っていた。

「ふん、馬鹿め」と思った。

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IIIa Summaron 3.5cm f3.5 (TX)Jun.2008

当時、「自分だけは受かる」と思っていたかと思うが、今思うとただ、ただ、「解放」されたかった。

結局、私も辞めるというだけで、具体的なことはせずにいた。しかし、相当担任も粘って冬になっても呼び出しは続けられ、私も粘り続けて、やめたいと言い続けた。

でも辞められそうになかった。

そこで、とりあえず、あの恐怖の部活を辞めてやろうと思った。

もう殴られるのは嫌だ。

と、恐怖のあまり号泣して顧問に言ったら、顧問はあきらかに狼狽し、驚きの表情で「説得」し始めた。

辞めるな。もう殴らないからと。

ああ、これで部活も辞められないと冷めた感覚を覚えた。結局、顧問が殴らなかったのはその後の1週間のみだった。

「もう我慢の限界だ!」と怒鳴っていたのをよく覚えている。「下手に出ていりゃ、いい気になりやがって!」と。チンピラか。

全員、パンチ(平手打ちじゃなくて)と蹴りを喰らった。

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DIII Hektor 7.3cm f1.9(TMY-2) Jun.2009

そんな日々が続いていたが真面目に学校には通っていた。

大きな変化

その頃、一つ目の大きな変化があった。寒さも増して来て、年を開けて、もう忘れてしまったが、何かの学力テストがあった。

全く勉強していない私も全員受けないといけないものだったので、受けるだけ受けるかと思い回答を出したところ、学年順位で400人中、10位だった。

天才現ると思ったかどうかは別として、なんだか吹っ切れてしまった。もう一度勉強しようかなと。

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IIIf Elmar 5cm f3.5 (TX)Feb.2007

そこで担任には1年次が終わる頃に辞めないでとりあえず勉強しますと答えた。勉強するからには何か目標が欲しいと思った。

色々な本を読み漁って、一つの職業をみつけて、この職業を目標にする。

実現するためには大学のどういう学科を卒業しないといけないのか調べ上げた。

当時は国家資格もないものだったので家族には反対されたがとりあえず、高校をやめないのなら・・・という返答だった。

それでも父には「あんな学科を受けたいだなんて、あいつは頭がおかしくなった」と言われていたし、近所のおばちゃんたちからは「アレモくんは真面目すぎるのよ」と言われていた。

あと、近所の2~3歳上のお兄ちゃんからは「アレモくん、恋愛しなよ」って言われたのをよく覚えている。

何言っているんだと思いながらも、好きな子もいないし、性欲しかないし、困ったなと思った。

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Leica A Elmar 5cm f3.5(PRESTO400) Sep.2013

初めて彼女ができた

少し時間が経って、もう一つの決定的なことが起きた。春休み中の3/31に部活を終えて帰る時に、突然、クラスメイトの女子に告白された。

私のツイートを覚えている方もいるかもしれないが、お付き合い始めてから「アレモ君はかっこいい方ではないよね」と言っていた子だ。

びっくりした。心底驚いた。今でも人生の驚きの5本に入る。びっくりしてどうしようもなくて、うれしくて。

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M3 Summicron 50mm f2 (TX)Mar.2008

付き合いましょうということになった。彼女ができてしまった。

全然意識していなかったのに。これは一体なんだろうとさえ思った。

中学生の頃は彼女が欲しくて欲しくてたまらなかったのに。

順位が思いの外良かった、彼女ができた。この二つの出来事によって高校生活は復活した。

しかし、当時の彼女が今の奥さんとかそういう話には全くならない。その子はどうやら近所の大きな病院の看護師になったと仲間から聞いている。

卒業後、一度も会ったことはない。

そういえば、その子には付き合っている時に"毎週"(毎日ではない)決められた曜日、時間に電話していたんだけれど、「毎週電話してくれるけれど、いらないよ?」と言われて、落ち込んだことも今では笑ってしまう。

可愛いなぁ自分って。今なら即振るのに。うはは。次々!って。

変わっていたなぁあの子は。「手も繋ぎたいと思わない」、「あなたがかっこいいと思ったことはない」とか、色々言われたな。

結局、一年半付き合ってフラれたけれど。

今どうしているんだろう。そういえば、中学も高校も小学校も同窓会って一度もない。あれ?呼ばれていないだけ?

そ、そんなことないよなぁ。

大学は一浪の末

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M6 Elmarit 28mm f2.8(HP5) Jan.2013

結局、現役では大学は受からなかった。一浪してなんとか受かった大学に進んだ。

うちの高校は「現役は偶然、一浪は当然」と言われていた。

そして、母校である高校がなくなった。大学が偏差値でいう三流大学(F欄というの?)だったので大学の方が先になくなると思っていたが、高校の方が先になくなるなんて。

予備校講師が話したこと

話が前後するが、高校2年生の頃、大手予備校の講師が来て、講演を行った時のことをよく思い出す。

「これからあなたたちは受験があるが今までの日本で一番過酷な受験になります。ベビーブームに生まれたあなたたちは受験も厳しいが就職も厳しい、そして墓に入るのも競争になる」と。

そして、「残念ながらあなたたちの後からは人口は減っているので大学、学校は少子化を迎え、どんどん潰れる。そんな中、あなたたちが卒業した大学も無くなるかもしれない。それはあなたたちが親になった頃に大学がなくなっているかもしれないということだ。そんな頃に自分の子供が受験を迎えた時に"お父さん、お母さんの出た大学はどこ?"と聞かれて、"もうないよ"と答えることは辛いですよ。ですから、偏差値の高い、"いい大学"に行きましょう」と言った内容だった。

その講師の予想が当たったのは「少子化」のみで、大学はあれから増え続け、講師が講演をした私の高校が先に無くなったことだ。

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M2 Summaron 3.5cm f3.5(TMY-2)May.2010

母校を撮影したい

学校が無くなると聞いた時、カメラを持って写真を撮っておこうと思ったが結局、"いろいろなこと"が重なって行けず、校舎は別の施設になってしまった。

少し落ち着いて来た今、改めて行こうと思っているのだけれど、どんなカメラとレンズを持って行こうかと悩んでいるのが楽しくて楽しくてたまらない。

自分でも馬鹿だなぁと思う。カメラなんて持って行かずに「見学」だけでもいけばいいのにと思う。

でもさ、なんかドキュメンタリーみたいでかっこいいじゃない。

やっぱりアンソニー・スオウのようにM6とSummicron 28mmでばちばち撮りたいじゃない。

こうやってブログとかに書いてみたいじゃない。こんな学校だったって。

あ、ネットにアップなんてできないか。ま、自分でプリントしてにやけるだけかな。

だからさ、Summicron 28mmが必要になったから買おうと思うのよ。

え?ウルトロン28mmでもいいじゃないって?ダメだ、ズミクロンでしか撮れないものがあるんだよ。多分。

この時期になると、あの誰もいなかった校庭を今でも時々思い出す。

 

あ、50万・・・。無・理・・・。 

 あ、6万・・・。買・え・る?