千葉県白井市の富塚鳥見神社へ行ってきた。カメラはM10-PとSummaron 3.5cm f3.5(小さいやつね)
アイキャッチ用のカメラの写真を撮り忘れた。いや、それほど見応えのある神社だった。
ストリートビューで少し見ていたものの、結構住宅街の中にひょっこり神社がある。
しかし、この鳥居をくぐると結構見応えのある神社だった。
この扁額。「鳥見大明神」って彫ってあるんだって。
まさに鳥居をくぐるとここだけ世界が変わる感じ。境内の外は住宅街なのに不思議。
三山信仰の石碑など。
左は庚申塔群。
青面金剛像。明和「六」まで見える。己の文字もあるので明和六年か?
明和六年なら1769年。その4年後にボストン茶会事件(1773年)だわ。1775年にアメリカ独立戦争だよ。約30年後に黒船ペリー(1853年)が来たりだもんなー不思議な国だなアメリカってとかなんとか。
アメリカ独立戦争している時に日本は「庚申待」とか民間信仰、夜通し酒飲んだりとかだもん。
こちらは馬頭観音。やばい、「宝暦」(1751~1764年)って年号があったんだ。宝暦二年(1752年)って彫ってある。1752年だとインドでイギリスの東インド会社が「プラッシーの戦い(1757年)」でフランス陣営を破って覇権を握った頃だな。
なんかこう世界は目まぐるしく変わっている時か。
その頃日本は鎖国で云々と。
観音様の頭に馬。かわいい。
「鳥見神社の切られ庚申」これを見たかった。
庚申塔の右側が削られているように見える。
説明文によると、1706年に建てられた、この庚申塔は元々はここにはなく、江戸時代の「鮮魚街道(なまみち)」に沿ったところにあったという。
「鮮魚街道(なまみち)」はGoogleマップでも残っているし、今も道としてある。
庚申塔は明治初期にここに移動されたという。
謂れは「鮮魚街道」で「鮮魚師(なまし)」が火の玉に襲われ、恐怖の余り刀を闇雲に振り回してしまい、この庚申塔に傷をつけてしまったと言われている。
土台、刀でこの石を傷つける削ることは不可能ではあるけれど、鮮魚街道があったことなどと関連されて面白い。
今の「鮮魚街道」の様子。普通に残ってる。
鳥見神社の「歓喜天」これも見たかったものの一つ。
男神と女神が抱擁している。
夫婦和合、子宝の神。秘仏としてきちんと囲いがされている。市内唯一の歓喜天で1771年に富塚村の西輪寺の関係者が建てたものだという。
やっと?第二の鳥居。ここまで見応えありすぎてスマホでいっぱい撮ってしまった。M10-Pの出番なし。
左は神楽の舞台?
右はなんだろう?集会所みたいに見えたが・・・あ、社務所?
拝殿。こじんまりとしているが・・・
寄ってみると・・・
この彫刻!すごい!
龍が巻き付いてる。なんと左側は「下り龍」
右側は「登り龍」なんだそうだ。
もうすんごいんだから。全然、M10-Pの出番なんかなかった。とにかく記録、記録って。
羽目板には「二十四孝」
これは「郭巨」
郭巨には子供がいたが貧しくて、郭巨の母親から食べ物を分けてもらうほどだった。郭巨はこれを悔やんで、母への孝行を優先し、我が子を土に埋めてしまおうと穴を掘ったところ、黄金の釜が出てきた。天が郭巨の親孝行を見て授けたと言う話。
これは結構見かけるので覚えた。「唐夫人」
歯のない姑に嫁が自分の乳を与えると言う孝行の話。
「楊香」
虎と出会し、これは父を助けられないと思った楊香は天に自分を犠牲にしてでも父を助けた前と願ったところ、虎が逃げていった。
拝殿全体。
周辺を見ていたら見つけた。東日本大震災の時に被害にあった指定文化財をここに埋めたと言うようなことが彫られていた。
歴史になりつつあるのだなと。
というわけで、ここ「富塚鳥見神社」は大変見所が多くて満足、満足。
スマホで一通り撮った後に、M10-PとSummaronでぽちぽち撮った。
もうメインが神社、寺巡りになった。知的好奇心が満たされて、楽しいわ〜。
次に柏市藤ヶ谷の富士塚へ向かった。
白井市も結構色々あるんだよな