スランプ?
先日10年前とかのフィルムを見返していて、写真をいっぱい撮っていたなーと思った。
あの頃は"スランプだな"とか言っていた時期もあったなーとか。
最近、私はスランプを感じることがなくなった。いつもそんなにいい写真が撮れているとは全く思えないから。お、いいのが撮れたラッキーぐらい。
毎回毎回いい写真が撮れるなんて神様かと。それぐらいの感覚でいつも気合い入れて撮っているわけでもないのでスランプになることはない。
写真を趣味にしてからスランプだなーと思った時期もあったけれど、ここ最近4~5年ぐらいは全く感じない。成長することをやめたから。
現状維持、低空飛行大好き。
2時間に8本とか撮っていた時期は散々な結果ばかりでスランプだなーと思っていた。
「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」とは言うが、個人的には「下手な鉄砲を数打っても当たらない」と思ってる。
下手なら下手なりに一発一発を丁寧に。一晩一晩の逢瀬を大事に。次はないかもしれないぞ!相手を大切に。一発必中である。
似たような人がいる。女は男よりスケベである!(?)本当かよ!?試してみるぞ!?
撮れればラッキー
えー。なんだっけ。そう一枚一枚を大切に撮るようになれば一枚の価値も自分の中で上がって来る。別に一枚を撮ることのスピードを早くとか遅くとか言っているわけではない。撮りたいと思ったなら撮ればいい。
いっぱい撮りたいと思ったならいっぱいシャッターを切ればいい。被写体との相性もあると思う。その時の「陽加減」もあると思う。体調もあると思う。その時その時のあるがままを受け入れる姿勢を持っていたい。
もっと自然に、そのままに、周囲を、自分を、被写体を受け入れれば、撮りたいかどうかも感じられるし、無理な時に無理して撮る必要もない。
1日写真を撮りに行って、1枚も撮れなくてもいいじゃないか。1日カメラを持ち歩いていたことはそれだけでラッキーだ。これって全然日常じゃないぞ。
1日中カメラ屋さんを歩き回って1台も、1本もカメラ、レンズを買えなくてもいいじゃないか。いや、それは許さん。
無理をするということ
それでも無理をしてもいい。1日100枚写真を撮ると決めたら100枚撮るのだ。撮れるまで帰らない。
自分で決めたなら出来不出来は関係ない。何が目標なのかはっきりしているのでここは100枚撮れるまで無理をするべきなのだ。100枚撮れるまで帰るべきではない。
メモリーカードがいっぱいになるまで撮ると決めたのなら撮りきるまで帰らない。512Gのカードを選んだらつれー。
外で撮り切れないのなかったら、自宅に帰って撮ればいい。その結果得るものが何かあるはずだ。
この方法は自分には合わなかったなと思えば違う方法を考えればいい。100枚撮ったのを見返して、全ての写真が素晴らしいと思えるかもしれない。それで正解なのだ。そこにスランプはない。
一体何枚撮れるのか。
写真は自由だ
写真はどこでも撮れる。写真は自由だ。あなたが考えていることが全てだ。撮ってもいいし、撮らなくてもいい。自分がいいと思ったものはいい。他人がいいと思ったものもいい。自分が嫌だなと思ったものは嫌のままでいい。
他人が批判的にコメントをして来たものは気にしなくていい。むしろ喜んでいい。よく「CGみたい」という批判も見かけるが、これは今やデジタル全盛に時代に旧態然とした価値観を持って批判をするものだ。
そういう批判が出る写真こそ「革命的」と捉えたい。いつの時代もパラダムシフトが起きるときは批判が生まれるものだ。批判するに値する写真なのだ。それだけの価値があるのだ。
むしろ一番関心を持つべきは「無関心」とされた写真だ。プラスにもマイナスにもならないことだ。
しかし、多くの人が無関心であっても一人の人が関心を持ってくれたのなら、いや、持ってくれるはずだ。その写真には価値がある。嫌だなと思ったものでも残しておいてほしい。捨てないでほしい。いつか必ずいいと思える時が来る。
それが明日か10年後かわからないが人は変わる。死ぬまでに何度も変わる。変わらない人などいない。
写真も変わる
あなたが変化するように写真も変化し続ける。変化していい。変わるべきだ。
壁に写すしかなかった時代、銅板、銀板、ガラス板にしか写せなかった時代。モノクロしかなかった時代。カラーも写せるようになった時代。
そしてデジタルになった。HDR、合成、レタッチetc。今や写真はなんでもアリなんだ。許されているんだ。
なんでもアリだからこそ「好き」を大事にしたい。自分の好きが一番大切。好きなことをし続けるからスランプなんてない。
モノクロで撮りたいなと思ったらモノクロで撮ればいい。写真乾板をやりたいを思うのなら乾板を作ればいい。今の時代作れないものはない。
お金がかかる?そうだね。お金をかければいい。やりたいのならお金をかければいい。自分の中での優先順位の問題。生活が優先するのならそっちを優先させればいい。
迷うべきだ
迷ってもいい。自分で迷って決めたらのならそれが正解だ。自分の選択が一番正しい。
やってみておかしいなと思ったらまた迷えばいい。迷うことを恐れる必要はない。迷うことは健全だ。
眠れないほど迷うことを経験したことがあるか?そんな眠れないほど重要なことが自分の人生にあるなんて素敵なことじゃないか。
あの構図で良かったのかな。あの露出で良かったのかな。迷い続けて撮り続けることの幸せ。あそこに行きたい。あっちにも行きたい。行きたい場所があることの幸せ。
やりたいことをやり続ける。ひとつひとつを大事にする。迷ったらとりあえず迷い続ける。決断を急がない。決断したのならそれを信じる。迷ったらまた迷い決断する。その繰り返し。
迷いはスランプなのか?迷いはそのまま写真に出る。その写真はあなたの個性とは言えないか。
迷わないということはなんと残念なことか。迷うことはとても健康なことだ。人生において迷いはひとつの楽しみだ。
このカメラがいい、あのレンズがいいと迷っている時楽しくないか?この写真がいい、あの写真がいいと迷っている時は楽しいと思えないか。
その迷いをマイナスと捉える必要は全くない。むしろ迷えることに感謝したい。それだけの価値があるということだ。
決めたら即実行だ。時に勝るものはない。実行し結果を見て迷い、また決断する。即実行する。迷う時間が長くてもいい。1年かかってもいい。
結論はいつか出る。結論を急ぐ必要はない。そんな時間があることはありがたいことだと思わないか。結論が出ないのも結論だ。
死を間近にしている人にはそんな時間はない。すぐに決断しなければならない。いや、そのまま死んでもいいのか。結論が出ないことに否定的にならなくても良いのか。
そうか、迷い続けることが人間らしいのか。
マンネリ写真
マンネリ写真?いや見ていて楽しいじゃないか。一貫性のある写真を撮ることは難しいのかもしれないがマンネリを続けることの重要性も考えたい。並べられた写真を見ると継続は力なりということを実感する。
例えば自宅の窓から毎日毎日同じ時間に同じ場所を撮り続けること。10日も続ければ価値が出てくる。いや2日でも。2枚の写真を並べること自体価値がある。
マンネリと言われるとつまらないと言われているように感じる人もいるかもしれないが、物事の多面性から捉えるとマンネリということは一貫性があるということだ。
それだけ継続してきたのだ。継続できたことを褒めたい。褒美にレンズを買おう。
いいねが押されなくてもいい
いいねが押されないから、いいねが減ってきたから自分はスランプだと思うかもしれない。このSNS時代にいいねの価値とは。
いいねがいっぱいつくのはうれしいこと。嬉しくないなんて天邪鬼なことを言う人もいるかもしれないが矛盾しているよね。それならHPにアップすればいいしアクセス解析なども入れなければいい。
いいね、いっぱいほしいよね。でもつかないこともあると思う。それがマイナスなのかゼロなのか。
例え何も反応がなくても続けることだ。続けること以外手はない。投稿の間隔が空いても止める必要はない。
別にかっこつけてもう写真をやめますなんて宣言しなくてもいい。写真で食っているわけではない。
人の定規を気にするな。まずは自分の定規を作ろう。
一枚の写真が与えるもの
撮りたくなったら撮ればいいし、撮りたくなかったら撮らなければいい。
なぜか24枚撮りを入れたので早く撮り切らなくちゃと思う。いいじゃないか今から撮り始めて撮り終わるのが来年でも。
1年後に見たらどんな風景が写っているのだろうか。あなたは何を見ていたのか。
デジタルは今すぐ見られる。たのしいよね。出かけてデジカメやスマホで撮ってスマホやデジカメの小さな液晶で「おお、いいのが撮れたじゃん」と1人ほくそ笑む。そこに価値を共有できる人がいたら楽しさは倍になる。
そして帰ってきて自宅の大きな液晶で見て「やっぱりすごいね」「ああ、手ブレてるね」「ピンボケだね」と新たな発見がある。
そしてプリントするとまた新たな発見がある。紙の重さ、質感。モノとしての写真。全てがいい。
SNSにアップしなくてもいい。自分だけの宝物でいい。1枚の写真が生活に与えるものはとても大きいと思う。毎朝起きて、1枚の好きな写真を見てはニヤニヤする。
いつか老いてシャッターが切れなくなるかもしれない。別にそこまで無理をして写真を撮り続ける必要性は全くないが今は撮りたい時に撮りたい。
もしかしたら瞬きするだけでシャッターが切れる時代が来るかもしれない。それが好きか嫌いか別として写真が撮れるということは幸せだなと思う。そういう時代が来るのかもしれないと思うことも楽しい。
カメラを持って歩くことの幸せ。こんな幸せがあるだろうか。楽しいよね。好きなカメラとレンズを買って初めて持ち出す日の前日のこと。思い出すだけでも楽しい。
いつも低空飛行さ〜