千葉県匝瑳市の飯高檀林を後にして、安久山のスダジイを見に行った。
安久山のスダジイ
匝瑳市は巨木の多さも有名らしく、そこかしこに多くの巨木がある。
その中でも「安久山のスダジイ」はかなりの大きさということで見に行った。
地図で見るとわかるのだが、実はこの安久山のスダジイは個人宅にある。
普通に歩いていると見落とすかもしれない。しかも、土日のみという。
この付近を歩いていたら、自転車に乗ったおばあさんが「しいの木かい?」と尋ねてきた。
そうであることを言うと、「平日は見られねぇんだ」と言いながら、このお宅に入っていかれた。
ああ、残念と思って、周囲を見ていると結構大きな木が多く、それはそれで見ごたえがあった。
木を眺めていると、近くの畑で農作業をしながらこちらを見ていた男性がいたので会釈したら、こちらに向かって歩いてこられた。
「しいの木かい?」とこれまた同じことを尋ねられた。「あ、はい」と言うと、「奥にばあさんがいるから、声かければ見られるから」と言う。
「あ、でも、平日はダメだそうで・・・」
「いんや、構わないねぇ。"ウチ"だから」とお宅を指差す。
「あれー、そうですか、すみません。」と丁重に挨拶をしてお宅へ。
玄関に行くと先ほどのおばあさんと話している、おばあさんがもう一人いらしたので、「すみません、しいの木を見に伺ったのですが・・・」と言うと、「そうですか、そうですか、先に行っていてください、そっちにありますから」とお宅の裏手を指差すので、「わかりました、ではここに200円入れておきますね」と200円をチャリンと入れた。
中からは「ズチャッ」と重い音がしたので、結構入っているんじゃないかと思った。
協力金として200円を支払う。
フクロウの写真と地井さんとの写真などがあった。地井さんは匝瑳市出身。「ちい散歩」でもここに来たという。
鬱蒼とした中に明らかに巨大な木が一本生えている。となりの蔵のような建物もすごい。
臼と杵なんて久しぶりに見たぞ。お宅も築130年以上だそうだ。
簡単に計算しても1874年。明治6年・・・。西南戦争とか・・・だ。
拝見していると、おばあさんが来られて、丁寧に説明してくださった。
樹齢は市の樹医と県の樹医で600年、1000年以上と別れているらしいが、600年は経っているということだ。
これが板根(ばんこん)。熱帯雨林などでよく見られるがここで見られるのは珍しいのだそうだ。
確かに屋久島などに生えているイメージがあるが今まで見たことなかったかも。
根がぎっしり張っている。足元も綺麗に整備されていた。
見上げても28mmなんかじゃとても太刀打ちできない。
説明を受けながら、裏に回る。でかい。こんな巨木が見られるなんて。
足元にも変わった草木が生えていた。
んー、なんて言ったかなー。珍しくて覚えられなかった。メモを持って行けばよかった。
奥に見えるのがお宅。
玄関にあった写真にフクロウが写っていたが、今年の春に「子育て」でこの木に来ていたそうだ。
せり出している枝といっていいのか?木。
一通り説明してくださった後、おばあさんが「お茶でも淹れますから、一休みしていってください」とおっしゃってくださった。
更に裏手に降りていくと谷津があり「里山」が拡がっているので見て行ってと。
早速、降りてみた。振り返って。アジサイがまだ結構咲いている。
ここが道・・・か・・・?降りていく。
更に降りていく。
途中、何度も蜘蛛の巣にやられる。薄暗くて全然見えない。
残念ながらここから先に行ったところで、完全に木々に覆われてしまって、更に蜘蛛の巣もすごくて降りられず。
下には田園が広がっていたので行ってみたかった。春先や秋など季節を変えてくるといいかもしれない。
お宅に戻って、お茶をいただきながらお話をした。
しいの木のこと。
市役所が少しは手入れに来てくれるのですか?と尋ねると、「全然」とのこと。ううむ。「やっぱり(市に)お金がないから」と。
これだけの木なら少しは税金を投入して・・・と思ってしまうが、それほど地方財政は苦しいのだと思う。
近所の小学校も廃校になったと。子供もいなくなって、若い人もいない。自分の子供も東京に働きに行ってしまっていると。
それでも色々な人がこの木を楽しみに来てくれるので、自分も楽しくやらせてもらっていて感謝しているとおっしゃっていた。私もここに訪れてよかった。
ご自身が嫁いできたお話など、いろいろとお話ができて本当によかった。
ここは「このしいの木とおばあさんがセット」なんだなと思った。
周辺を歩いた時に気付いたのだが、そこそこというか、かなり大きいしいの木が結構生えているのだ。
それをおばあさんに話すと、「もしかするとこのあたりは私たちが住むより前はしいの木の森のようになっていたんじゃないかと思う」と話されていた。
確かにそうかもしれない。この集落、地区をあるいているとそこかしこに巨木が多くある。
思わず話し込んでしまい、陽がかなり傾いた頃、お暇した。
最後まで丁寧に見送って下さってこちらも出来る限りのお礼を言い、また来ますと伝えた。
多分、あと10~30年のうちにこの匝瑳市も消滅に向かうのだと思う。
それでもこの木、巨木たちは力強く残っていくのかもしれないと思いながら、匝瑳市を後にした。
ライカに持ち替えて
この日、デビューだったニコンS2とニッコール5cm f1.4は一本試し撮りだったので、撮り終えたら、M6とSummicron 35mm f2に持ち替えた。
一枚目、ファインダーを覗いた瞬間、「あ、すごい見やすい」と思った。すごくスッキリしている。ピント合わせもしやすい。
ニコンS2から持ち替えてすぐにその差を感じて少しショックを受けた。こんなにも使いやすいのかライカは・・・と。
ニコンS2を使って、改めてライカの良さを実感してしまった。持ちやすい、構えやすい、ピントも合わせやすい、ファインダーも見やすい。
SR電池とLR電池の違い
あと、しいの木を撮っている時に、突然、露出計がアンダーを示した。
空に向けるとf2で1/60でもアンダーだった。これはおかしい。
その前の一コマまで正常だったのに、いきなりアンダーになったので、あれ?と思った。
ついには露出計が点滅するようになった。これは「露出が測れない」と言うサインで、(M6の後期型は露出計の部分を手で覆うと▲のLEDが点滅する。前期型は消える。)ついに壊れたか?と思った。
これは・・・M6は一番使いやすいライカなので買い換えるしかない!とさえ思ったが、冷静に考えたらもしかしたら「電池切れ」?と思い、その場でいつも持ち歩いている予備電池を入れてみたらあっさり復活した。
M6で露出計が使えないなんてM6の意味がない。使ってきたカメラが消耗して、直せなくなったら清く手放すか、不燃ゴミで捨てるし、買い直すよ、M6は。
それだけ信頼できるカメラだから。
ホッとしたが、これ、SR電池でよかった。
以前、LR44を「安いから」と言う理由で入れていたが、LR電池は電力の落ち方が緩やかで露出計のズレに気づかず、おかしいと思った時にはかなりオーバーの写真を撮り続けてしまった。
SRは「電力がすぐに落ちる」という特性があると聞き、露出計には「SR電池」の方がいいと教わったのが役立った。
ツイッターでも述べたが、電池がなくなったらシャッターが切れないカメラはダメとは言わない。
そのカメラが使いたいならカメラに人が合わせればいい。
デジタルカメラの時は充電池を複数持ち歩くのに、フィルムカメラになると途端に「機械式シャッター原理主義者」が生まれてややこしくなる。
ボタン電池ぐらい持ち歩いても死なない。体力奪われないから。
日立マクセル ボタン形酸化銀電池・2個パック(鉛フリー化) SR44 2BS C
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カメラ用に
単体露出計用に。私は露出計がないと撮れないです。