こう言う写真を撮っていた頃もありました。
自分の写真ってなんだろうね。
自分らしい写真ってなんだろうね。
私の写真ってなんだろうね。
案外写ってるでしょ?3000円代って安いよね。
私の写真は壁画
これなんか壁画にし見えないぞ。ああ、いいレンズだったなぁ。しみじみ。
私は自分の写真は「壁画」だと思ってる。
壁画ってあのラスコー洞窟の壁画とかって言うやつ。ペタペタ洞窟に塗ったくって、動物とか人とか描いていたやつ。約2万年前のクロマニョン人たちが描いた絵。
塗料は木炭と赤土が原料みたいだけれど、炭はいわゆる元素=炭素なのでこれ以上分解されないからとても安定している。
炭の文字が今でも読めるのは理にかなっていると読んだことがある。
さて、「私の写真は壁画」というのは、当時のクロマニョン人たちはこれが「アート」だとして残したつもりはなく、もちろん「作品」だと思って描いているとは思えない。
しかし、今は国レベルで保護されている。これは2万年前という時間がそうさせてるのだと思う。
では、この壁画はアートなのか?様々な歴史的な絵巻などはアートなのか?
これはアートなのか?日常でしかないのでは。記録。
少なくとも私の写真はアートと思って撮ったことはない。作品と思ったことはない。
クロマニョン人たちが当時、牛とか馬とかをみて「描きたい」と思ったのだと思う。それと同じで、今ある、あるがままを「撮りたい」と思っているだけ。
それがデジタルでもフィルムでもどちらでもいい。
だからお出かけしてついでにとっている感じ。お出かけ楽しい。
好きな人ともしくは一人でドライブして、カフェでおいしいご飯食べて、美味しいコーヒー飲んで、写真を撮る。
デザートもスマホで撮ったりして。
もしかするとこの写真が残って1万年後にたまたま発見されたら、誰このソースかけたの!?
とか、これは食べるものなのか?超古代文明だとしてもてはやされるかもしれないし、今と変わらねーなと捨てられるかもしれない。
でも、その時が楽しいからいいのだ。
みてみてよー、こんな絵描いちゃったよってクロマニョン人たちが洞窟の中でみんなでいいねって「手形」ぺったんって、押していたかもしれない。
当時は手形の数がいいねの数だったりして。
ああ、ハナ、可愛かったなぁって思い出す。ねぇ?
我々の時代だって、同じだ。SNSにアップしたり、ネットの前は雑誌などに投稿したり、果ては個展したり。個展だって、見てよ見てよの延長でしょう。私の壁画を見てよって。
2万年前だって、壁画を採点する長老みたいのがいたかもしれないぞ。
12年前の竹下通り。今の小学6年生の子が生まれた年だぞ。
これなんかそろそろ壁画の域に入りそうだろ?今とあんまり変わらないか?
ああ、自然の風景だとどうだろう。これも絵に近くなってくる?でもどこかで何か黄色い葉っぱがあったんだなーとか、紅葉きれいねーとか?
つーか、NEX-3、よく写るな。十分だな。まだどっかにあるんじゃないかな。1万ぐらいで中古で買ったような記憶。
いつの時代だって神頼みだよ。きちんと撮れるかどうかは神のみぞ知るってね。
壁画の時代、2万年前だって、どうだ俺の炭すごくね?いい炭が出来上がったんだよーとか今でいう、「カメラオフ」みたいな、「炭オフ」とかやってかもしれないし、炭の取り合いで戦争してたかもしれない。
「フォトウォーク」ならぬ「壁画ウォーク」とか。絶対にやってたね。あの人たちは。
もうね、とてつもないの、RPGみたいに山を越えて、モンスターを倒して、やっと新しい洞窟にたどり着いてやっと絵がかけるみたいな感じ。
カフェに入る代わりに、焚き火とか。火起こしから始めるの。一体俺たち何してんの?って。
女子は火を守って、男子は山にその日の食べ物を狩りに行くの。
森を歩いていたら「ガターパチャ」の木を発見して、うぉぉぉ!グッタペルカ発見みたいな。
で、焚き火の前で、肉をかじりながら、いやいや、今、時代は赤土でしょとか!ちょっと前のフィルム・デジタル戦争みたいなのもあったかもしれない。
青なんか銅とか鉄を発見するまで大変だったんじゃないか?青なんか発見した日にゃ、戦争でしょ。
これは俺の青だ!いや俺のだ!いや、私のよ!的な感じで。青なんか持ってたら神扱いじゃないの?
ちょっと余談だけれど、青、特に紺って強いよね。あのコバルトブルーってやつ。すんごい難しい。
ほんのちょっと足すとあっという間に他の色がブルーになってしまう。なんなんだよ、あの青ってやつは。白にちょいと足すだけで大変なことになるよね。
デジタルってほんと写真界のパラダイムシフトだよな。このパラダイムシフトに乗り遅れると仕事で写真を撮るのは厳しいよね。
でも、壁画なら、なんでもいいわけ。残れば。フィルムは一応、百年ぐらいは残っているからあと百年ぐらい持つかもしれない。
元祖的なフィルム
128Gもあったら何枚撮れるの?
だから手段はなんでもいいの。自己満足の壁画が描ければいいの。ただね、壁画を描くときにはちょっと炭を選びたいわけよ。人と違う炭。
もしくはうまい壁画を描く人の炭と同じものが欲しいのよ。憧れるわけ、すごい炭に。もしくは赤土に。
だから、選ぶのいろいろ。クロマニョン人だって、壁画を描くぞと思ったら、炭を作りに行ったり、赤土を探しに行って、これが欲しい!って絶対に物欲に悩まされていたに違いないから。
クロマニョン人から現代に続く物欲ね。
人類は壁画がある限り、物欲から離れられないよ。買おうぜ。カメラとレンズ。
平成も終わってしまうから、平成最後の壁画を残そうぜ。好きなカメラとレンズで。
時代の変化を残した壁画として、1000年ぐらいだったらなんだこれ?って博物館に飾られるかもしれないぞ。
さぁ、撮りに行け、壁画を描きに洞窟に行け。
壁にいたずらを書きしたら、だめよ!バンクシーなら捕まらないけれど、私たちは捕まるからな!
今、こんな炭が欲しい。