一年に一度は写真館で写真を撮っておくべき理由3つ

 幼い頃、七五三などで写真館、所謂、街の写真屋さんで家族写真などの記念写真を撮ってもらった記憶がある。

なんで千歳飴なんか持たないといけないのかと思った。

 

しかし、年齢を重ね、実家を出てから、ここ最近に至るまできちんと写真館でプロカメラマンに撮ってもらったと言う記憶がない。

あるのは4~5年前の親戚の結婚式の時についでにと言った感じで撮ってもらったぐらいか。

ここ最近は撮ってもらっていない。

しかし、ずっと前から一年に一度は写真館で写真を撮っておくべきかなと思っている。

 1)いつ死ぬか分からないよ、だって人間だもの

驚いた事に人間は死ぬんだよ。マジで死ぬから。これは嘘じゃない。

明日、死ぬかも知れないし、30年後かも知れない。

いや100年後か?それは何歳だ。

ひょっとしたら、今日かもよ?

いや、既に死んでいるのかも知れないぞ。

あー、そうか「お前はもう死んでいる」って言われたわ。

ねぇ、今、天国にいる?地獄にいる?。

絶対、天国。

 

父を亡くした時、「遺影」に使う写真が無くて困った。

10年以上、亡くなるまでずっと単身赴任(今、考えるとそんなに長い単身赴任って・・・?)だったので父を撮った写真がほんと無かった。

私は父を家族から長い間奪った会社を恨んだなぁ。

ようやく見つけた写真は亡くなった時の年齢マイナス15歳だった。

それが遺影になっているのだが違和感ありあり。

遺影を見ていると自分が子供になった気がする。

子供の頃の記憶が呼び覚まされる。

 

やはり「遺影」は撮っておくべきだ。

 

今、終活とか流行っているらしいし、撮っておいていいんじゃないか。

母親には「はい、遺影を撮るよ」と言って撮っている時もある。

母親は笑っているがこっちは真剣。

中判カメラとか持ち出すときもある。

流石にストロボ炊いたりとか仰々しいことはしないけど。

照れくさいが撮っておく。

 

遺影が無いと困るのは死んだ人じゃなくて、残された人間だから。

死んで悲しいのは死んだ人じゃなくて、残された人が悲しいってことと同じ。

 

私は死んだらあの世も無いし、何も無いと思ってる。

ぷつんとテレビが消えるように終わると思ってる。

 

仏壇とか無くても良いけど、やっぱり遺影は必要だと思ってる。

 

 

 

2)やっぱりいいよね、写真って

特にプリントで見るとやっぱり良いよね、写真って。

写真館はデータは渡さないから絶対にプリント。

プリントで見るために写真はあると言わんばかり。(全くその通り。)

 

「記念に残す」とはCMみたいだけれどほんと記念。

撮ったものを見るとほんと素晴らしい。

プロが撮る写真はほんときれい。

 

写りに関してはデジカメかフィルムかとかは全く関係ない。

今、フィルムで撮るのは撮る側のこだわりみたいなものだと思う。

あえて言うならモノクロはフィルムがいいな。なんか違う。

大判カメラとかで撮って欲しい。

 

写真館での写真は誕生日に撮る、家族が集まる年始、お盆に撮るとか、

ルーチンワークにするのも良いと思う。

「決まり事」にしてしまえば遺影とか言いづらくない。

記念だからと押し切れる。

相手も察するけれどね。(「察する」関係性いいね。)

決まり事なので撮らないと年が明けないみたいな感じ。

 

高齢で撮るのが大変と言う事なら出張サービスもある。

記念写真 出張

遺影写真 出張撮影

 

3)撮っておかないと後悔するよ 

年始、祖母の家に親戚一同集まる。

必ず私はフィルムカメラを持って行き、

まず祖母を一人で撮り、その後集合写真を撮る。

「はい、みんなー写真撮るよー」って。

まさに記念写真。

 

こう言うのが一番写真らしい写真だと思っている。

構図が、ピントが、ボケが、とか云々かんぬん抜きにして、

パシャ!とフラッシュを炊いて全面にピントが来るように。

「じゃあ、今度は私が入るー」って交換してもらう。

撮っておかないと絶対に後で後悔すると思う。

「あの時・・・」って。

 

せっかくカメラを持っているなら、家族をいっぱい撮っておこう。

 

写真館で年に一度は大切な人と一緒に自分を撮ってもらおう。

年に一度は遺影を撮っておこう。

50歳から撮って80歳で死んでも30枚。

順を追って見たら家族は楽しいだろうね。

笑顔で見送るだろうね。