柏市にある、旧手賀教会堂へ行ってきた。ずっと気になっていたんだけれど、リニューアルが始まってしまいなかなか行けずにいた。
カメラは前回の多聞院の残りがあった、M2とSummilux 35mm f1.4とモノクロフィルムのILFORD HP5+。
目次
旧手賀教会堂
道は狭いのでパッと見は気づかない。
この建物は現存する転用教会としては日本唯一とのこと。1880年(明治14年)に住居から教会へ転用した。
内部
ここが礼拝堂になる。ロシア正教は椅子に座らないそうだ。
こちら側が手賀沼が見える方向。
純和風。
今回の改修で発掘されたという桶。トイレの位置から発掘されたという。
正教会の7つの機密である、洗礼機密を行う桶。
聖画=イコン
茨城県笠間市出身の聖画家、山下りんが描いた聖画=イコン。
最後の晩餐。正教では機密の晩餐というようだ。
主全能者キリスト。
左上が使徒マトフェイ(マタイ)、右上がイヲアン(ヨハネ)、左下がマルク(マルコ)、右下がルカ。それぞれが福音書を書いている。
ペトロとパウロはどういう位置付けなんだろう?
山下りん
山下りんは日本初の女性聖画(イコン)の画家。1857年茨城源笠間市生まれ。1880年にサンクトペテルブルクへ留学するも、ロシアのイコンを好きになれず、5年留学の予定を切り上げて1883年に帰国。
帰国後は駿河台のニコライ堂のイコンを描いた他、300点以上のイコンを描いた。
全て模写であり、無署名。これが正教会の描き方。
こちらが山下りんのイコンがある教会一覧。
現在の新手賀教会にイコンがある。この記事の旧手賀教会堂のものは複写とのこと。
ロシア正教という呼び方は正教の中のロシア正教という意味で、日本では日本正教になる。なので日本復活大聖堂=ニコライ堂が主座となる。厳密にはロシア正教の主座ではない。
山下りんの資料集増刊として「白凛居」があるが、2022年9月現在休館中。
新手賀教会堂
旧手賀教会堂の職員の方から、外だけでも見ることができるとのことで新手賀教会堂にも足を伸ばした。
こちらは現在も10戸ほどの住民たちが礼拝をおこなっているという。毎月第三土曜日にニコライ堂から牧師が来て礼拝が行われている。
こちらには山下りんのオリジナルのイコンが掲げられている。
ひっそりとしたところに建っており、どこか隠れキリシタンのような雰囲気も感じるが今こそ信仰の自由。
明治初期に布教活動を行なったニコライは日露戦争中も日本に残り、日本人であれば日露戦争において日本が勝つことを祈るのは当然であるとまで言っているそうだ。
そういう民族を超えた人に寄り添う姿というのは素晴らしいと思う。
普通であれば、帰国し、自分の国のために祈るのではないだろうか。平和を祈る。この虚しさは今は語らなくともわかるはず。
ここ、旧手賀教会堂を訪れたら、ロシア正教とのことでまさにタイムリーな話題に触れることもできた。
いつの時代も戦争はある。これからもなくならない。ではどうすればいいのだろうか。何ができるのだろうか。
旧手賀教会堂のそばの直売所で100円のトマトを買って、サラダに入れて食べてみた。スーパーなどで売られているような甘さはなく、少し酸っぱい。それでもおいしかった。