バルナックライカDIIIと旧Elmar 5cm f3.5を持って八千代市の桑橋熊野神社へ行ってきた

バルナックライカDIIIと旧Elmar 5cm f3.5を持って八千代市の桑橋熊野神社へ行ってきた。

DIIIにはまだフィルムが10数枚残っている。フィルムはILFORD HP5+。

仁戸名市民の森に行った時の残りのフィルム。

aremo-koremo.hatenablog.com

桑橋って「くわばし」と読むのかな?と思ったら「そうのはし」だった。読めねーよ・・・。

あれ!「桑」って字、又三つか!なんだか覚えているようで覚えてないな。

地図の表記から「桑畑」がなくなったとか聞いたな。養蚕も縮小かな?

ちょっと道の影になっていてわかりづらいんだけれど、思いの外厳かだった。

電灯もある。参道も真っ直ぐではないかも?

拝殿。結構しっかり作られている?いや新しいと思ったら、関東大震災と1987年の房総沖地震で結構危うくなり、平成に入ってから氏子さんたちで建て直したそうだ。

向かって右の狛犬。これ、足に玉?を抱えてる。なんだろう?

右側が「獅子」、左側が「狛犬」とされており、オスとメスで一対になっているとも考えられています。よく見ると玉を抑えた「玉取り」

https://toki-ootomi.com/jinja/mame/m013_komainu.htm

え!右は獅子だったんだ!よく見ると獅子っぽい。

しかも「玉取り」というのがあるんだ。知らなかった。

玉は「富や吉祥の象徴」とか。へぇ〜。

こっちは「子取り」か。子孫繁栄。

あれっと思って見たら本宮がしっかり柵に覆われていた。

中の彫刻がすごかった。

正面を隙間から。

これはなんだろう?調べたら「中国二十四孝 董永」らしい。

董永という子供がいて、その父に対してとても親孝行をしていたが父を亡くし、葬儀にお金がかかり借金をしてしまう。借金のために自分を奴隷に売るが、そこに婦人が現れ、結婚をする。その夫人はすぐに百疋の織物を織って、借金を返してしまう。すると夫人は自分は親孝行をした董永のために天帝の名を受けて現れた織女だという。その借金を返すために下界に降りてきたと。借金を返済するとまた天界に登って行ったとか。

あ、いや、結婚は・・・とはツッコミなしで、親孝行するといいことあるぞと。

「中国二十四孝 孟宗」

孟宗という子供がいた。幼い頃に父を亡くし、高齢となった母も病に倒れた。医者からは新鮮な筍のスープを飲ませなさいと言われたが、冬であったため筍が採れなかった。竹に縋って泣いたところ、地面から数本筍が割れて出てきたと。その筍を使ってスープを作って母に飲ませたところ元気になったという。

親孝行するといいことあるぞ。たけのこも冬に生えてくる。

なるほど、だから竹林と鍬を持っているのか。

「中国二十四孝 唐夫人」

唐夫人は姑によく仕え、歯のない姑のために自分の乳を与えていたが、姑が亡くなるときに、唐夫人は素晴らしい孝行をしてくれた。唐夫人のように孝行をすれば必ずハンネするだろうと言い残した。

「乳姑不怠」という逸話として残されている。

参照:千葉県・桑橋熊野神社 | 神社に隠れていたモノ

あ!やっぱりそうか、この歯のない姑に婦人が乳を与えているのどこかで見たと思ったら、宝登山神社か!見た見た!驚いた記憶がある。

本宮裏手に何か祠があった。

蜘蛛の巣だらけでこれ以上近づけず。天満宮のようだった。

ここから左手を見たらそこにも小さな石祠。味わい深い。

鳥居を逆光で。向こうは道を挟んで、何かの処理場みたいな感じだった。

道を歩いて行ったら、なんと森の中に鳥居があった。天神社とある。天満宮のことか?

意を決して中腰で奥まで行った見たところ、やはり祠があった。

なんでこのあたりはこんなに神社とか多いのだろう?何かの道だったのか?

そして道端にはこれ。

なぜこうなったのかは不明だが、元には戻さないのか・・・と。

仔細に見ると、三猿がいるので庚申塔か。他も庚申塔だった。

うーむ。打ち捨てられているようでなんとも・・・

これは青面金剛像か?

少し先には塚のようなものがあった。

出羽三山信仰と・・・?これは仏様?

右に「〜能村」とあるようだが・・・?「睦村」しかわからないんだが・・・?何か読み間違えてる?

あ、隣に睦小学校、睦中学校があるな。

さらに先には道祖神があった。ここは整備されている?

この後、八千代市桑納(かんのう=読めない)にある「神明神社」へ向かった。

ここまでスマホで撮ってもまだフィルムが残ってる

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