2019年 1月 30日 追記 写真湿板を手に入れた記事のリンク追加
お正月に益子へ行ってきた。その時、古道具屋にも寄ったのだが、ここでなかなか面白いものを見つけた。
写真乾板だ。
一箱、1000円だったので即決した。中には10枚の写真乾板と中判フィルムネガが6コマ入っていた。
写真乾板が入っている箱は相当古いものでILFORD,LONDONという文字がかろうじて読める。つまりイルフォード製だ。
また、"VERY FAST"という文字も見えるが、おそらくこれは写真乾板の前の湿板の頃に比べてISO感度が高くなったということから宣伝文句に使われているのだと思う。
ガラスのネガ。サイズは4.5x6.5cmのいわゆる"アトム判"。他にも写真乾板は9x12cmなど色々なサイズがあるが今回買ったのはアトム判のみだった。
さて、写真乾板とはなんぞやと言うことだが、簡単に言うとガラスのネガで、ガラスに薬品が塗ってあって、一枚一枚入れ替えて撮っていたと言うこと。
その前の写真湿板に比べて、感光剤を持ち歩かなくて良くなったので(むしろ湿板は外では撮れない、撮れても相当苦労する)、外でも簡単に(?)撮れるようになった。
また、感度も上がったので撮影においてカメラマンも被写体も楽になった。
湿板はISO1などなので室内だと約6秒(坂本龍馬の写真がそう言われている)ぐらいじっとしていないといけないので肖像写真などを撮る時には首を支える棒を使ったりしていた。それでもISO10ぐらいだろうか。
ICA Atom 51 | Mike Otto owner of Pacific Rim Camera and Don … | Flickr
アトム判(4.5x6cm)の名前の由来になった、イカ・アトムの51。これは65mm f4.5のテッサーがついている。
1909年から作られていて、第一次世界大戦が1914年からだからかなり古い。戦前の戦前のカメラ。約100年前のカメラ。
カメラの歴史はカメラオブスクラ、銅板を使ったダゲレオタイプ、ガラスを使った湿板、乾板、フィルム、デジタルという流れになっているのがカメラオブスクラは投影されたものを見るだけなので、乾板は実質3番目の写真システムということになる。
ちなみに写真乾板はもう「あるだけ」になっており、時々eBayなどに出るらしいが感度も落ちているだろうし、現実的ではない。
翻って、湿板は現在、盛り返してきており(?)結構、自分で薬剤を揃えて写真湿板を楽しんでいる方もいるし、専門の写真屋さんもあり、ワークショップなどもある。楽しそう・・・。
田村写真 ; http://www.tamurasyasin.com
LIGHT & PLACE 湿板寫眞館 ; http://lightandplace.com
参照;ダゲレオタイプ - Wikipedia 写真湿板 - Wikipedia 写真乾板 - Wikipedia
とりあえずスキャン
前置きが長くなった。本題。
買ってすぐに宿のライトにかざしてみた。
画像をモノクロに変換する。
階調の反転をしたところ、見事に写っている。
いつ頃だろう。日本では1930年ごろにフィルムに変わっているので、明治末から大正、戦前の昭和5年ごろまでのころ。
需要があったのは1880年台らしいので明治から大正と思われる。何よりも女性たちの表情に余裕がある。服装も皆、和服を着ている。
以下、フラッドベッドスキャナーで直接スキャンし、フォトショップで反転し、トーンカーブ調整したもの。
これは・・・なんだろう。芸人か・・・?
喫茶店らしき場所で読書をしている男性。生活に余裕がある感じを受ける。
おもちゃの鉄砲を持って敬礼の真似をしている子供。日清、日露戦争からの流れだろうか。
この頃も、今も子供を撮るのは難しい。動体ブレを起こしている。女の子だろう。
乾板を眺めている時からこれは・・・と思っていた女性。
同じ女性だと思われる。
上の写真は左からの光源か感光か。被写体の光り方からすると光源?下の写真は正面から光を当てたのか?喪服のようにも感じるが、この和服も「普段着」だったのだろうか。それとも何かの記念写真か?
これはネガを見た時からオーバーだなと思っていたが、かなりオーバーだった。
珍しく外で撮ったもの。川と思われる。奥に人々と船のようなものが見えるのと屋根付きの船らしきものも見える。
また、上部から光源が当たっているのは太陽か。右側は感光してしまったのだろうか。
これにも驚いた。
当時の生活ぶりが見えて来る感じ。手前の男性は紙タバコらしきものを持っているようだ。メガネも置いてあるか?皆、和服なのでやはり明治〜大正なのだろうか。
真ん中の男性もタバコを手に読書に耽っている。右側手前の男性もタバコは吸わないのか、読書をしている。本棚が気になるところ。
乾板の状態がもっと良ければわかったかも?ルーペで見てみたがよくわからなかった。
書籍が多く裕福な家と感じる。田舎ではなく、かなり都会だったのかもしれない。
こちらはどこだろう。感光してしまったのか、オーバーだったのか。白っぽい。
手前の女性と奥の子供と女性の関係は?手前の女性は10代後半から20代前半だろうか。後ろにその子供?そして、子供の祖母(女性の母)?もしくは姑?撮影者が旦那さんか?ポーズをつけているところからして、何かの記念撮影だろうか。
一体いつの頃のなのか
おおよそ、写真乾板は1871年に生まれたが日本では1935年までと言われている。というのも1935年あたりから今も使っているフィルムが入って来たからで、すると、ロールフィルムが1888年に発売され、乾板は需要が1900年に入ってから減り、1935年に完全にロールフィルムに変わった言われるが、昭和に入っている(1926年~)かどうかなのがわからなかったので、ツイッターでフォロワーさんに尋ねてみた。
古道具屋で手に入れた写真乾板です。この2枚からおおよその時代が絞れる方いらっしゃいますか?一応明治中期から昭和初期と思っているのですが・・・ pic.twitter.com/NriWlenpQ7
— アレモコレモ (@_aremokoremo_) 2017年2月3日
ありがたいことに多くの情報をいただけた。髪型でおおよその時代がつかめた。
庇髪(ひさしかみ)と言われる、明治末期から大正の女性の髪型であること、紙タバコも同時代であること。
大衆がカメラを手に入るようになったのが日露戦争(1904-1905年)後ぐらいから。つまり明治末期から。するとおおよそだが、大正(1912-1926年)あたりかと。
庇髪について; ポーラ文化研究所|やさしい化粧文化史-入門編- 第11回 自由なヘアスタイルのはじまり
着色してみた
去年、ちょっと有名になった、ここのサイトを使って着色してみた。
Automatic Image Colorization・白黒画像の自動色付け
急に生々しくなる。左はもしかして男性か?
かなり裕福な家なのでは?
こちらの方もかなりのお嬢様だったりするのではないか?
6枚のフィルムもリアルだった
6枚の中判フィルムのネガもスキャンしてみた。
何かの記念か?男の子との自慢げな表情。「車馬止」があるので寺社だろうか。
得意げな表情と読めたが、お父さんに撮ってもらったのだろうか。
ちょっとびっくりしたが中判カメラは空シャッター切る必要がないから、もしかして間違えて押した?
アンダーだったのをトーンカーブで出してみた。これもかなり裕福な家ではないだろうか。什器がとても高そう。
今度は真っ黒なネガだった。よってかなりのオーバーになっている。どうも寺社仏閣の参道ではないだろうか。お祭りのような感じか?
これはいわゆる6x6だった。どこか山登りに行ったのか?
ネガの劣化か、フレアかわからないがふわっとしている。
これは愛車の前でと言ったところか。車も時代を感じさせるデザインだが、日本車じゃない感じも受ける。1950年代のアメリカ車のような。
かなり裕福な家だったのだろう。この二枚は同一人物だったので、上の写真は車でドライブに行った時のものだろうか。
これらのネガはおそらく戦後で間違い無いと思う。そして朝鮮特需の後の高度成長期に入る頃、1950年代だろうか。わかる方いるだろうか。車で特定できそうだ。
同様に着色してみた。
60年代か?
これは・・・車に詳しい人ならすぐに特定できそうだ。
2016.2.6 追記;ブックマークコメントなどから車は1950年代のアメリカ車、GMのビュイック・スーパー・リヴィエラ51~53年ごろと判明しました。情報ありがとうございます。
これら、写真乾板もフィルムも今うちにある引き伸ばし機でプリントできるのでちょっとやってみようと思う。
スキャンしてみて俄然、この写真乾板に興味が湧いたが、残念ながら乾板がもうない。しかし、どうやら写真乾板の中でも"アトム判"と呼ばれるサイズは4.5x6cmなのでチェキで撮れるらしい。色々と試行錯誤している方が多くいる。
「チェキ」フィルムをクラシックカメラで使える! V.P.TENAXをもっと使おう〜撮影日記
こちらはきちんと撮れているようだ。現代のフィルムチェキがアトム判に最適だったとはなんだか運命的だ。
幸いチェキを持っているのでモノクロのチェキも出た、もしくは当時なかったカラーでも撮っても面白いかもしれない。
ちょっとイカが欲しくなった・・・。
チェキ買ったらついでにイカ、アトム判カメラ買う?
2019年 1月30日 追加
2019年、益子で今度は写真湿板を手に入れた記事