私は単焦点バカ。
ズームレンズは一本しか持ってないというか、父から譲り受けたものだけ。
全然使ってない。カビもルンルン、グリース抜けてるし。
ルンルンさん。
レンズ交換が楽しいから
あれやこれやレンズをがちゃがちゃしたい。
面白いよね、ガチャガチャ取ったり付けたり。
意味もなく付けてみたり、外してみたり。
それでファインダーを覗いてみて、おおっ!とか言ってみる。
撮ってもいないのに。
Nikon Fに20mmを付けて、覗いてみる。クラクラする。
写りが一本一本違って楽しい
同じような写りのレンズはあるけれど、決して同じ写りのレンズなどない。
スペックも同じでも違うだろうなと絶対に想像できる。
これと、
これでも絶対に違う。
古いレンズほど違いがすごい。
単焦点使っているとかっこいいでしょ!な!?な!?
超個人的な思い込みとして、「単焦点使っている=わかってる」という馬鹿な考え方があって、単焦点を盲信している。
また単焦点レンズの方がズームレンズより優れている原理主義者だったりするので、なかなか人の意見を聞かない。
私はバカなのかもしれない。うん、バカかも。
こういうのが優れてると思っている。
かっこいいと思っている。思い込んでる。洗脳されてる。
養老孟司先生によると、
脳の活動は、y=axという一次方程式であらわされる(y=出力、x=入力、 a=本人の感情や興味の係数)。aがゼロの場合、入力から出力は生まれない。 aが無限大の場合、ある情報、信条がその人にとっての絶対のものになる。 これが原理主義である。 「バカの壁」より
つまり何を言われても変化しないのだ。 私の脳は。
時々ズームいいなー欲しいなーと物欲に支配されそうになるが、
単焦点レンズを見ていると要らん!と拒否する。
ほ、欲しい。い、いかん。
徹底的に拒否して、ふん、ズームレンズは単焦点より写りが劣るんだよ。と意味不明な理屈で物欲から逃れている。
すっぱいブドウのきつねである。
防衛機制の合理化によってお金を使わないように自我を保っているのだ。
自己破産を免れている?
完全なる負け惜しみである。
しかし、私はあえて言おう、ズームレンズはカスであると!(ギレンっぽくね)
ジーク単焦点!ちょっと語呂が悪いな。
ジーク単焦!ジーク短小!いや、これは違う、違うんだ。
単焦点命!いのち!