写真の撮り方

 

写真を楽しんでいるだろうか。いや、楽しくない、自分の写真ってなんだろうって思っている人もいるだろう。私は楽しんでいる。なぜ楽しいのか。なぜ楽しくないのか。最近、近所を散歩して写真を撮っていて急に思いついたので少し考えてみた。

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DP2  Jan 2013

 

白い巨砲

自分の好きな写真を撮る

当たり前だが、これが一番撮りたい、撮るものだろう。では何を撮るのか。風景、ポートレイト、スナップ、鉄道、車、スポーツetc...。何でもいいんだよね。何を撮ろうが誰に文句言われても何も問題ないよね。問題があるとしたら、後ろめたい部分があるんじゃないか?

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Nikon FM3A Nikkor Ai 45mm f2.8P (REALA ACE)  Jul 2006

 

電池。暑い日だったので日陰に逃げたという記憶が鮮明に蘇ってきた。最高じゃない?編みの真ん中に電池が入っているのって。すごい自分!って、あの日は楽しかったなぁ。

例えばスナップで人に気づかれないように撮るのも好きだけれど、なんだか悪いことをしているように感じているのなら、無理することはない、声をかければいい。私もなんだか最近は悪いことをしているように感じるのでできるだけ声をかけている。そう言うのも、先日、散歩がてらハーフカメラを持ち歩いて撮っていたら、あるお宅の門の上に猫が佇んでいたので、思わず、ニャーニャー言って近づいて見ていたら、自宅から家主の女性が出てきたので、満面の笑みを作って挨拶をして「いつもここにいるのですか?」と尋ねると「そうなのよ〜」と笑顔で返してくれたので、「この子を写真撮ってもいいですか?」と尋ねたら、ニッコリ笑顔で「ええ、ええ、もちろんです〜。撮ってあげてください」とまで言ってもらえた。上手に撮れていたら今度プリントを差し上げようと思った。その後の足取りはとても軽くなって気持ちが良かった。やっぱり人とコミュニーケーションを取りながら散歩、写真を撮るのは楽しいなぁと。自然に笑顔になっていたのだが、ニッコニッコのおっさんが歩いているのである。恐怖以外何物ではないじゃないか。だからみんな目線を外してきたのか!通報されてないよな。

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DIII Elmar 9cm f4  Dec 2007

 

そこまでコミュニケーションを取るのは難しいというのなら無理する必要はないと思う。諦めて撮らないか、声をかけずに撮ればいい。基本的に相手が嫌なことは自分も嫌なものだと思う。

それでも撮りたいのなら、まずは挨拶から始めればいいじゃない。こんにちは、いい天気ですねって。別に写真を撮らなくてもいいじゃない。挨拶の仕方という本を買って読んでもいいんじゃない?それはいい写真を撮るために必要なんだと思う。

私は挨拶だけして少しお話をするだけで枚数を撮らず、1日で数枚だけ撮るだけというのも素晴らしい写真ができるんじゃないかと思う。そばにいてもいいという信頼が得られたら、もう写真が撮れたようなものじゃないか?それは動物にも言える。犬や猫が信用したら逃げないし、怒らないし、いい表情をもたらしてくれるだろうと思う。そこに至るまでには猫の生態などを勉強してから写真を撮ってもいいだろうと思うし、風景写真だって、空とか天気とか勉強したほうがいいよね?月を撮る人は月に詳しいよね?同じだと思う。自分から歩み寄る努力は必要だと思う。ピント合わせの練習はその後でもいいんじゃないか?

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M4 Summaron 35mm f2.8  Feb 2007

 

なんのための写真か

なんのために、なぜ、写真を撮っているのかという問いになんと答えるだろうか。私は楽しみとして、楽しいからとしか答えようがない。特にフィルムカメラで撮っていると楽しい。露出を合わせて、ピント合わせ、構図を決めて、シャッターを切る。そして巻き上げる。最高。個人的にはライカが最高だ。10年以上使っても飽きない。コンテストを狙っているわけでもなく、他人からの賞賛はネットでもらえたらうれしいという程度で、プロを目指しているわけでもなく、向上心もない。楽しけりゃいいそれが人間ってものじゃないかねと。それでいいのかと批判したくなる人もいるかもしれないが大きなお世話だ。低空飛行を続けるんだよ、私は。高い空を飛んでいれば気持ちもいいかもしれないし、視野も広がるかもしれないけれど、私は視野が狭くてもいいと思っているし、視野が狭いことを知っている。それでも自分を肯定する。最後に自分を肯定するのは自分しかいないから。

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DIII Hektor 5cm f2.5  Jul 2008

 

仮ににコンテストで賞を取るために写真を撮るのなら、コンテストを選ばなければならないだろう。100人の人を前にして100人の全てから自分の写真に対して賛同を得られるのはあり得ないだろうし、一割の10人からも得るのは難しいのじゃないか?審査委員が1人なら、その人の嗜好が明らからに入ると思うのでコンテストを選ばないといけないのではないかと思うのだ。コンテストの傾向と対策って。

コンテストとは別に、私の、あなたの写真はみんなから賛同、褒められなくてもその写真は素晴らしい写真なんだから、変にに落ち込まなくてもいい。いや、全く落ち込む必要はない。自分だけが喜んでもいい。自分で好きなように撮ればそれは自分にとって好きな写真に近いのではないだろうか。もう少しと思うのなら、勉強しよう。構図、ピント、露出だ。それだけでかなり変わるのではないか。

これはかなり良かった。以前はこう言う基本的なことがかいてあるレッスン本みたいなのがいっぱいあったのに、今は具体的すぎる。ハイキーに撮る方法とか、インスタグラムで受ける写真の方法とか。まずは「普通に撮る」ことから始めるといいのではないかと思い、私も買って読んだ。

常々私が思っているのは構図は意思、ピントは意図だと思う。露出はその時の光のさじ加減。自分でコントロールするから自分の写真なのであって、結果、他人と同じような写真が撮れてもそれでもあなたの写真だ。同じ場所で同じピントと構図、露出で撮れば同じ写真が撮れるのは当たり前だ。それは三脚を据えて、ピントを無限にして、構図を据えて、数秒以内に一人目がシャッターを切って、その後、数秒以内にもう一人がシャッターを切れば絶対にと言っていいほど同じ写真が撮れるはずだ。撮れないとカメラとして壊れている。

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GXR A12 Color Skoper 28mm f3.5  Mar 2014

 

そこで三脚からカメラを外すだけで構図がずれて「個性」が出てくるし、シャッターを押す時間をずらすだけでもっともっと個性が出てくるだろう。朝撮る人と日中撮る人、夜撮る人、全然違うよね。

何を見たのか

結局のところ、極論を言えば写真は記録だ。その時に私が、あなたが見たものをどうやって撮るかの違いだけだ。石が落ちていてその石をどう撮るかの違いだ。立ったまま撮る人もいるだろうし、しゃがむ人もいるだろう、ましてやもっとローアングルで寝そべるように撮る人もいると思う。全て正しいということではなくて、「間違い」ではない。ただ、どういう結果を得られるのかが全てなのでそこで差が出る。先ほど述べたようにピントの位置、石にピントを持ってくるのか、石の手前にピントを持ってきてをあえてボカすのか。露出でアンダーに撮るのかオーバーに撮るのか、構図で石をどこに持ってくるのか。右か左か、真ん中か、奥か手前か、石を観察し、考察し、瞬時に結果を出しシャッターを切るのもよし、じっくり一日中その石のそばから離れず撮り続けるのもよし。どっちが正解ということはない。

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PEN E-PL5 12-42mm f3.5-f5.6  Apr 2014

 

一枚の結果しか見られない他人にとってはどう撮ったかはそんなに問題ではない、(もちろん気になるだろうが)その写真が見た人にとって「好きな写真」かどうかだ。優れた写真は露出が綺麗でピントがバッチリで構図も例えば三分割でぴったりとか。「上手な写真」というものだ。さらにその上を撮りたいと私は思う。知識があって、さらにその上をどうしたらいいのか。いい写真とは何か。それは自分も含めた、見ている人にとっていい写真ということなので、友達の赤ちゃんを撮らせてもらって、自分もいいと思えて、友達もいい写真って思ってくれたら最高じゃないか?私は、あなたは、何を見たのか?

何を撮る?どう撮る?

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この写真を昔ブログにアップした時、私はある方から求めてもいないのに突然「なぜその写真を撮ったのか。何も伝わらない。意味がわからない。中途半端」と言われたことがある。その時、私はなんて言い草だ、お前の写真だって、いい写真なんてねーよ!もう腹立った!北斗百裂拳を浴びせてやる。あたたたたた!と殴りつけた。それは嘘だが、腹立ったのは事実で、その後、ミラーに映った自分を撮るのをやめていた。さらに他人のこういう写真を見ると評価を下げていた。しかし、最近、道端のミラーを見てふと思った。なんだ、撮ればいいじゃんって。撮りたいなら撮れよって。なんで人に自分の生活とか人生を狂わされなければならないのかって。勿体無い。死に切れんよ。

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撮りたいものをなんで撮らないんだ。勿体無い。別にフィルムだって、デジタルだって同じだと思う。撮りたいものを撮りたいように撮ればいいじゃない!

シンプルにいこう

撮りたいように撮ろう。人に何を言われようと関係ない。撮りまくれ。自分でどうにかしたいのなら勉強しよう、人に聞こう。第三者は求められない限り、いいなと思ったもの以外は口に出さないほうがいいと思う。批判をするのなら求められた時だけ。良かれと思って批判するのだろうけれど、それは自己満足だから。人に指導している自分スゲーって。言われた側になってみろ、相当凹んでいるぞ、怒っているぞ、北斗百裂拳喰らわされるぞ。胸に7つの傷じゃ足りなくなるぞ。

あと、機材、これと決めたらしばらくそれで撮り続けたほうがいいと思う。例えばニコンFM2とニッコール50mm f1.4でずっと撮っているという人とか。 KISS X7と35mm f2で撮り続けるとか。

 

 

そういう人の写真を見れば、結果は一目瞭然で、すごいなと思わされることが多い。もちろん好きなカメラでバンバン撮るのもいいけれど、あれもこれも使っていると「ローテーション」みたいだなって自分で思った。

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機材を決められないダメ人間のお手本。へっ!どっちも最高だぜ!いやっほー!ベイベー!

欲しいものを買える範囲で買うのもいいけれど、いいなと、惚れ込んだものは一旦、ある程度の期間、使い続けて「モノにしたら」いいんじゃないか。その先に見えてくるものもある。一眼レフ一台、50mmか35mmあたりのレンズを一本とかで半年、もしくは2~3ヶ月ぐらい撮ってみたらいいのでは?あれこれ手を出すと収拾がつかなくなるし、写真がブレると思う。機材はシンプルに。一日一台一本~二本を目安に。レンズは35mmメインなら80~90mmを一本。50mmメインなら100~135mmをもう一本。28と50というのも面白かも。そう考えるとズームレンズはうまくできているね。

逆にいいなと思ったら使えばいいし、撮ればいい。他人の評価より自分の評価。自分が一番。反社会的判断でない限り、非社会的判断でも自分の判断が一番正しいんだ。例えば「さぁ、泥棒をするぞ」という判断には反対するが「引きこもる」という判断には反対しない。

さぁ、撮ろうぜ、写真。私はあなたの写真が見たい。